<花に舞い踊る>ユリ 老女の心理描写に一役

2021年7月30日 07時15分

老女が背負う薪に添えられたユリ

 秋風が待たれる季節です。今回ご紹介する「黒塚(くろづか)」は昭和の歌舞伎舞踊の傑作。ことに老女が踊る場面の辺り一面の壮観な芒原(すすきはら)に目を奪われますが、ユリの花の存在も見逃せません。
 この作品は、奥州安達原(あだちがはら)(福島県二本松市)の鬼女伝説を基にした能「黒塚(安達原とも)」から生まれました。歌舞伎では実は鬼女である老女に人間性が加えられ、老女の人生が語られることや救われる喜びに踊る場面が特徴となっています。老女は父の罪のためにさすらい、やがて夫となった人に捨てられ、怒りと絶望のうちに世を呪い、人を恨むようになりました。つまり生まれながらの鬼ではなく、哀(かな)しみの果てに鬼女となったのです。
 長年自分の悪行に悩んでいた老女は、一夜の宿を貸した高僧の教えに救いを得て、たいそう喜び、僧たちのために夜道もいとわず薪をとりに出かけます。その帰り道、老女が背負う薪にそっと添えられているのがユリの花。その美しさに心惹(ひ)かれつい手折ったのでしょうか。僧たちをもてなすためかもしれません。いずれにせよ、花を愛(め)でる心が鬼女の胸に兆したことが想像でき、そこに温かみが感じられます。
 童心に返って踊った後、信じた高僧の裏切りに、仏の道もあてにならないと怒り、再び鬼と化しますが、老女の一連の心理の変化が、人間を描く近代の歌舞伎らしい彩りを放ち、「鬼とは何か」を考えさせられもします。一見小さな存在のユリの花が、恐ろしいだけではない、老女の表現に一役買う心憎い演出となっているのです。(舞踊評論家・阿部さとみ)

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