湯煙の富士、追い求め  『わたしは銭湯ペンキ絵師』を出版 田中みずきさん 

2021年7月31日 13時20分
 銭湯にペンキ絵を描く職人は、全国に何人いるでしょう? 答えは、三人。その中で唯一の若手である田中みずきさん(38)が、『わたしは銭湯ペンキ絵師』(秀明大学出版会)を出版した。なぜこの道に入り、何を目指すのか。書かれるのは苦労談ではなく、「アートって何?」という研究者のような探求の軌跡だ。
 そんな田中さんに会うため、東京・内神田の稲荷湯を訪れた。すらりとした長身。作業で湯船に入る時は、まずは持参の石鹸(せっけん)で足を洗う。その姿に生真面目さがにじむ。
 女湯と男湯をまたぐ壁の絵は田中さんの作だ。王道の富士山以外に、桜やヒマワリが目を引く。「四季の変化を楽しめるように」との注文で描いた。絵柄は、基本の構図をふまえつつも「常連のおばあちゃんに今度は赤富士がいいって頼まれた」「疫病退散のアマビエを」など、店側の意向を反映させて決める。
 浴場は絵が傷みやすいので、数年おきに描き替える。営業の邪魔にならぬよう、作業はわずか一日。足場を組み、前の絵を塗りつぶしていく。「壁をはがして昔の絵が出てくると、ハッとする。今の自分たちは、先人や時間の積み重ねの上にいるのだと体感します」
 幼少期は病弱で、家で絵を描くのが楽しみだった。亡き父は新聞社の美術担当記者。子どもたちを展覧会に連れて行き、家族旅行で海外の芸術祭や美術館を訪れた。父は「自分の老母にも分かりやすく」と記事を書いていた。その影響で、専門家でなくても楽しめる芸術の大事さを考えるようになった。大学で美術史を学ぶと、さらに思索は深まった。「アートって展覧会で見る絵だけじゃない。歴史を振り返れば、ふすま絵や浮世絵など、生活の場で楽しまれてきた絵がある」
 「近代の富士山のモチーフと銭湯ペンキ絵」を卒論のテーマに決め、大学二年の冬、人生初の銭湯へ。「大きな湯船でユラユラしながら湯気越しに見ていると、絵の中に入っていく錯覚に陥った。海に浮かび、富士山を眺めている不思議な感覚になった」
 富士山が多く描かれるのは、茶の湯や富士講、広告との関連など諸説ある。ともあれその魅力にはまり、「自分でも描いてみたい」と一念発起。銭湯ペンキ絵師の中島盛夫さんに頼み込んで弟子入りした。ひたすら師匠の技を「見て盗む」日々。修業をしながら大学院を卒業した。現在チームで仕事をする夫の駒村佳和さんと知り合ったのも銭湯イベント。出版社の社員やライターなどを経て、八年前に絵師として独立した。
 著書にはフリーの職人の現状を伝えたいとの思いから、個人的なことも記した。昨春長男を出産したが、妊娠出産の休業補償はなく、医療費もかかった。「仕方ないとあきらめたくない。経済的な補助システムが必要です」。先天性の糖尿病も打ち明けた。食事制限とインスリン注射で血糖値を管理する必要があるが、病気と付き合いつつ仕事はできると伝えたかった。
 メディアで「女性絵師」と紹介される違和感も記した。「男性絵師とは言わないですから…」。差別や偏見は人々の無意識の中にはびこる。「女性」という冠詞が取れる日を待ち望む。
 最後に触れているのが「アートとは何か」だ。銭湯ペンキ絵との出会いからずっと考え続けている。「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ」(太宰治『富嶽(ふがく)百景』)と、時にさげすむ響きで芸術と一線を引かれてきたペンキ絵。そのたびに恩師の言葉を思い出す。「生活の中で眺めて楽しむ絵というのが日本美術の中にはたくさんあった。この鑑賞のしかたは大切です」。世界的に評価される江戸の浮世絵も、もとは庶民の娯楽だった。美術館の額縁に入れば高尚、という「謎の階級意識」から抜け出し、「名称や肩書ではなく本質を捉えたい」と語る。
 会社員時代、仕事帰りに銭湯に行くと「大きな富士山に、怒られたり慰められたりしている気持ちになった」という。同じモチーフだからこそ、見る側の日々の感情の機微が反映される。一人の絵師が数年ごとに描き替え、時の変化を楽しめる絵でもある。決して同じ姿でとどまることのない絵を、これからも問い続けていく。 (出田阿生)

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