週のはじめに考える 半年前に戻ってほしい

2021年8月1日 07時42分
 半年たってしまいました。
 ミャンマーで、国軍がクーデターで国民民主連盟(NLD)から無理やり政権を奪取したのは、二月一日のこと。国軍に拘束された最高指導者アウン・サン・スー・チー氏(76)は汚職などの罪に問われ、有罪なら最長で禁錮十五年が科されます。
 半年で九百人を超す市民が国軍の銃撃に倒れ、五千人以上が拘束されました。NLDや少数民族などが挙国一致政府(NUG)を結成しましたが、国家運営は国軍の手中にあり、国民は銃声におびえ続けています。
 NUGによると、コロナ禍で連日千人超が死亡。医療態勢は崩壊し、最大都市ヤンゴンなどの路上には、感染者があふれています。世界銀行は、ミャンマーの二〇二一年度の経済成長率はマイナス18%との見通しを発表。クーデターで国内は荒廃の一途です。

◆国防省の射撃選手も

 祖国のこんな悲惨な状況を憂う男子アスリートが、国軍に抗議して、開催中の東京五輪をボイコットしました。オーストラリア在住のウィン・テット・ウーさん(27)=写真、本人提供=です。
 競泳の男子50メートル自由形でミャンマー記録を持ち、一九年に22秒62で五輪標準記録を突破した同国のトップスイマー。東京五輪出場は確実だったものの、四月に参加拒否を表明しました。五輪の開幕直前にメールで理由を尋ねると、こんな答えが返ってきました。
 「世界では東京五輪開催までの日数をカウントダウンしているのに、ミャンマーではクーデターからの日数や、国軍に殺された市民の人数を数え上げているのです」
 ミャンマーは五輪に二選手を送りました。当初、二人には自分と同様にボイコットを望みましたが「今は二人の参加に驚いてはいません」とウーさん。国軍との距離の問題なのかもしれません。二人のうち一人は男子射撃の選手。国際射撃連盟(ISSF)のホームページを見ると、「Ministry of Defence」(国防省)の所属でした。
 ウーさんは、国軍によって委員長らが交代させられ、二選手の出場を決めたミャンマー・オリンピック委員会や、派遣を受け入れた国際オリンピック委員会(IOC)を「スポーツを通じて世界平和を目指す」というオリンピック憲章の趣旨に反する、と批判します。

◆アスリートも犠牲に

 ウーさんは国軍に射殺された当時十九歳の女子テコンドー選手チェーズィンさん=写真、本人のフェイスブックから=の死を同じアスリートとして悼んでいます。
 五輪を目指していた彼女は、クーデターの直後、抗議活動に加わりました。デモの前列で抵抗の意思を示す三本指をかざして国軍と対峙(たいじ)していたころ「私は普通の市民。一緒に闘う」とフェイスブックに投稿しています。射殺される三日前には「わが身を反軍運動にささげる」という趣旨のメッセージを残していました。
 「私たちは彼女の犠牲に学ぶことができます。アスリートには高度なパフォーマンスだけでなく、高い倫理も求められるのです」
 こう話すウーさんは、両親ともミャンマー人ですが、マレーシアで生まれ、親の仕事などのためにこれまでの大半をフィリピンや米国で暮らしてきました。「外国から見た祖国はとても悲しい。早く元に戻ってほしい」と願います。
 国軍は、東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議に出席するなど「軍政」の既成事実化を進めています。欧米の経済制裁で市中には中国製品があふれ、ロシアも国軍総司令官と友好的に会談しています。一方、ASEANや日本は国軍の暴走を止める有効策を打てないまま、半年が過ぎました。
 日本の外務省職員でミャンマー語の専門家だった故小山(おやま)智史さん=一九年、川崎市で通り魔に刺され死亡=は生前、「自分で思えば(小さな)ベッドでも王宮になる」とのミャンマーのことわざをネット上で紹介しています。「この国の人は我慢強く苦境をかわす」との意味だそうです。
 だとしても、人々は既にギリギリまで追い詰められています。「民主的なNUGをミャンマー政府として承認してほしい」。それが日本への期待です。「国軍から解放されたら、二四年のパリ五輪で、自由で民主的な祖国の代表選手になりたい」。ウーさんのこの願いを何とかしてかなえてあげたいものです。

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