日系移民史の暗部に迫る 映画「オキナワ サントス」沖縄の「二重の差別」も明らかに 7日から上映

2021年8月1日 12時00分
 第2次世界大戦中にブラジル・サンパウロ州の港湾都市サントスで起きた日系移民強制退去事件を巡るドキュメンタリー映画「オキナワ サントス」(松林要樹まつばやしようじゅ監督)が8月7日から東京都渋谷区の「シアター・イメージフォーラム」で公開される。松林監督は現地で強制退去させられた家族の名簿を発見。当時子どもだった生存者から聞き取りを重ね、沖縄とブラジルの間に戦後70年以上埋もれていた移民史の暗部を描き出した。(岩田仲弘)

◆24時間以内の立ち退き命令

第2次大戦時にブラジルで出版された日本の軍国主義や植民地政策を分析した書籍の表紙。社会には日系人に対する差別や偏見がまん延していた ©玄要社

 サントス市は1908年、日本からの最初の移民が到着した港町だ。第2次世界大戦でブラジルの独裁政権は、米国とともに連合国として参戦することを決め、枢軸国の日本と国交を断絶。ナショナリズムの台頭とともに日系人に対する差別や偏見は強まる一方で、独裁政権は約20万人の日系移民に対して日本語新聞の廃刊や日本語学校の閉鎖などを命じた。
 強制退去事件が起きたのは1943年7月8日。サントス沖合で、枢軸国ドイツの軍艦がブラジルや米国の商船を撃沈したことから、ブラジル政府は市在住の日系人約6500人にスパイ容疑をかけ、24時間以内の立ち退きを命令。人々は、サンパウロ州内陸部に強制移住させられた。

強制退去させられた日系人でひしめく列車の様子を記した地元紙の記事と写真。事件の記録はこれ以外ほとんど残されていない ©玄要社

 これほど大規模な事件にもかかわらず、戦後も軍事独裁政権が長く続いたため、詳細な公式記録は残っていない。その歴史を明らかにする手掛かりを松林さんは自らつかんだ。

◆585世帯の名簿見つかる

 松林さんは2016年に文化庁新進芸術家研修制度でサンパウロに1年間滞在。東日本大震災で被災した後の福島県南相馬市の人々を描いた「相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶」(11年)や、同市で被災した元競走馬が数奇な運命をたどる姿を追った「祭の馬」(13年)を制作した経験から当初、「福島県出身の移民の映画を撮ろうと思っていた」という。

松林さんが見つけた強制退去させられた日系人の名簿 ©玄要社

 ところが、取材が思うようにはかどらない。そこで邦字紙「ニッケイ新聞」の編集長に相談したところ、「強制退去事件に取り組んでみてはどうか」と勧められた。取材を進めるうちに、退去を強いられた585世帯の名簿を偶然見つけた。そこには退去後の住所なども記され、さらに名字の特徴から6割が沖縄出身者であることが分かった。
 「私は日系でも沖縄県出身もないので、名簿を手に入れるまでは、取材で(外国人の)『壁』を感じていたが、ブラジル沖縄県人会の人たちに名簿を見せると、組織を挙げて応援してくれるようになった」。松林さんはこう振り返る。

◆友だちに「スパイ野郎」とののしられ…

 以後、沖縄県人会とタッグを組んで取材を重ねる。強制退去を10歳と7歳の時に体験した男性2人とは、実際にサントスからサンパウロ州内陸部の収容所までの道を一緒にたどった。「仲の良かった友だちから、突然スパイ野郎とののしられた…」。戦後、ブラジル国民として生きるのに必死だった彼らは、つらい過去を封印してきた。それがカメラの前で徐々に解かれていく。
 松林さんは、取材を進めるうちに「日系社会の差別構造が見えてきた」とも語る。ある晩突然、これまで取材していた日系人女性から「沖縄さんたちを熱心に取材しているそうですね。だったら自分の映像は使わず、今後は一切かかわらないでほしい」と通告された。日系人の中でも出身地によって差別があるといい、「女性の家族は戦前、本土から移住してきた。本土と沖縄の対立はただごとではない、と感じた」という。

◆移民や難民に関心持って

松林要樹監督

 松林さんが「オキナワ サントス」の取材を始めた16年ごろ、世界では中東やアフリカからの移民・難民が急増。それに伴い、米国や欧州各国で人種差別に基づく排外主義が急速に拡大していった。
 今は沖縄に住み、当地でネパールやインドからの移民など「沖縄の多様性」をテーマに制作活動を続ける松林さんは「日本政府や日本人も難民や移民に決して寛容だとは思わない。戦時中、ブラジルで日系人が経験したことは、遠い国の昔の話ではない。ぜひ関心を持ってほしい」と話す。
 映画は7月31日から那覇市で先行上映され、8月7日以降、全国で順次公開される。

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