車窓に映る 昭和 都電に魅せられ 本紙読者が写真集

2021年8月2日 06時33分
 日本橋の金融街や新宿の繁華街を抜ける車両、安全地帯のない停車場で、行き交う車を気にしながら急いで乗り込む親子連れ…。かつて都心の路上を縫うように走っていた都電の姿を収めた写真集「想いでの都電」(東京新聞)を、本紙読者の関根敏男さん(67)=写真、茨城県牛久市=が出版した。
 埼玉県立秩父高校一年だった一九六九年夏から、父に借りた「アサヒペンタックスSP」を首に下げ、片道二時間半、電車を乗り継いで都電の撮影に通い続けた。学校をサボったこともしばしばで「学校では不良扱いだった」。
 初めて都電を撮ったのは王子駅(北区)。「秩父鉄道で寄居に出てSLを撮り、大宮機関区に寄って、京浜東北線で都内に入ったら、高架から都電が見えたんだ」
 何げなく降りた王子駅を行き交う都電に、関根さんは魅了される。荒川線として大部分が残った27、32系統に加え、王子と通三丁目(中央区)を結ぶ19系統の三系統が通っていた。「19系統が折り返しのために並んでる隣に、27、32がバンバン来るわけ。感動したよ」

写真(1) 「都電が靖国通りの真ん中3車線を占有している状況を、若い都電ファンに見てもらいたい」=1970年3月、新宿駅

 当時、都電を撮影する鉄道ファンはほとんどいなかったという。「いかにも田舎から出てきた格好をした少年が立派なカメラで何撮ってるんだ、という視線を感じたよ」。そんな視線に気おされながら撮影したのが、新宿・靖国通りの真ん中に並ぶ三車両=写真(1)。自動車が端に追いやられているように見える。撮影からほどなくして、12、13系統は廃止となる。関根さんの高校三年間は、都電が次々と廃止された時期とほぼ重なる。

写真(2) 荒川線完全ワンマン化を記念した花電車。「沿道の観客が入らずに撮れた、奇跡の1枚」=1978年4月、大塚駅前

 そんな中で残った荒川線の、完全ワンマン化を祝って運転されたのが、写真(2)の花電車。一台目をほぼ真正面に、道路のカーブを利用して二台目もうまく収めた。「今なら連写でいくらでも撮れるし、その場で確認できるけど、当時はパチャンと撮ったらネジ巻いて、現像するまで分からなかった。われながらどんぴしゃりのカット」と胸を張る。

日本橋の首都高下を走る都電。「たびたび車に邪魔されて、やっと撮影できた1枚」=1971年2月

安全地帯のない電停で乗り込もうとする人たち。「急いで乗って」という声が聞こえてきそう=1971年2月、北区の霜降橋

 フィルムは全て、撮影順に保管してきた。「高校時代の全てを撮影に懸けたと言ってもいい」。五十年の時を経て、えりすぐりの八十六枚を集めた思い出深い一冊が出来上がった。
 文・小形佳奈/写真・都電の写真はすべて関根敏男さん撮影
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