<社説>五輪と平和 戦場にも思いはせたい

2021年8月3日 08時11分
 無観客という異例の五輪が催されている。国連総会決議に基づく「五輪休戦」期間中だが、世界の戦火はやまず、大会には政治の影もちらつく。「平和の祭典」とは矛盾する現実も直視したい。
 先月二十三日の開会式では、一九七二年のミュンヘン五輪開催中に殺害されたイスラエルの選手とコーチら十一人への黙とうがささげられた。イスラエルに拘束された同胞の解放を求めるパレスチナ人武装組織が選手村を急襲し、犠牲となった人びとだ。
 事件から四十九年後の黙とうは、イスラエルとパレスチナの力関係の変化を映し出している。
 これまで国際オリンピック委員会(IOC)が長く追悼行事を避けてきた背景には、パレスチナを支援するアラブやイスラム諸国の暗黙の圧力があったが、ここ数年、イスラエルと関係正常化を図るアラブ諸国が相次いでいる。
 ただ、対立が終わったわけではない。今年五月のイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆では、住民ら二百人以上が死亡した。パレスチナとの連帯を掲げるアルジェリアの柔道選手はイスラエル選手との対戦を拒み、今大会の出場を辞退した。
 国連総会は今回も開催の一週間前から、加盟国に恒例の五輪休戦を呼びかけた。しかし、イエメンをはじめ、シリア、アフガニスタンなどでは戦火がやまない。
 開会式でIOCのバッハ会長は「連帯と平和の五輪精神でIOC難民選手団を歓迎する」と演説した。しかし、難民は自然には生まれない。同じ大会に紛争当事国の選手団も参加しているという複雑な現実も忘れてはなるまい。
 かねて五輪は政治や国際紛争から自由ではなかった。三六年のベルリン五輪はナチスの宣伝戦の一環だった。東西冷戦下ではソ連のアフガン侵攻に抗議し、八〇年のモスクワ五輪を西側諸国がボイコット。逆に八四年のロサンゼルス五輪はソ連や東側諸国が参加を拒否した。国別の参加という仕組みを見直すべきではないかという声もあるが、容易ではない。
 「平和の祭典」は現実離れしているかもしれない。だが、理想としての意味はある。五輪を競技のみならず、世界各地の戦場にも思いをはせる機会として位置付け直せないものだろうか。メダル争いの興奮から一歩退いて、開催の意味を問い直したい。

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