<泉麻人のきまぐれ電鉄>(5)地下鉄千代田線、単独駅の旅

2021年8月4日 07時13分
 泉麻人さんが、なかむらるみさんと電車で東京近郊をぶらつく散歩エッセーです。

◆乃木坂→二重橋前→根津 千駄木→北綾瀬

 千代田線は個人的によく使う地下鉄だ。西は代々木上原で小田急線と中継、東は北千住で常磐線に合流しているが、綾瀬の先に北綾瀬という盲腸線の終点がある。今回は乃木坂からいくつかの単独駅(他線に同名の駅がない)に途中下車して終点まで行ってみようと思う。

◆乃木希典の名前から

 乃木坂の赤坂寄りの改札を出ると、すぐ横に乃木神社がある。いまは外苑東通りの六本木側から下ってくる側道に「乃木坂」のイメージがあるけれど、乃木神社門前の赤坂通りが本来の乃木坂で、当初は「幽霊坂」の名がついた険しい坂道だったようだ。乃木…の名はもちろん、乃木希典(のぎ・まれすけ)の邸宅があったからで、境内の一隅から上っていく石段の上には旧乃木邸とレンガ壁の馬小屋の一部が保存されている。
 もっとも、乃木坂の地名が広く知られるようになったのは、1970年代の千代田線の開通と、さらに「乃木坂46」の出現であることは言うまでもない。
 さて、今回は東京メトロ内1日乗り降り自由の「東京メトロ24時間券」(¥600)というのを使って千代田線に乗車、次に降りたったのは二重橋前。

◆若き渋沢像とパチリ

東京商工会議所1階にある「渋沢栄一像」と一緒に

 まず、日比谷寄りの馬場先門の前にある丸の内二重橋ビル内の東京商工会議所に入って、ロビーに置かれた渋沢栄一像を眺める。渋沢が東京商工会議所の初代会頭を務めた由縁で設置されたものだが、ここの渋沢像はおなじみの老年代のものではなく若い。43歳当時の写真をもとにした立像と聞いたが、大河ドラマの吉沢亮の風貌も心持ち重ねやすい。

皇居外苑の松並木とビル群

 和田倉門(行幸通り)の方から皇居外苑に入って、ちょっとうかいするように二重橋の本体をめざす。お堀に突き当たると、左手の皇居正門の前に石橋、左奥にもう一つ鉄橋が見えるが、奥の橋の方が従来の二重橋で、当初の木橋の時代に橋げたが二重(2段)の造りになっていたのが由来という。

上海中華の店でランチ

 都心部の地下を北進して、こんどは千代田線の根津で降りる。次の千駄木にかけて、千代田線のこの辺の駅は下りホームの上に上りホームがあるという2段重ねになっているのがおもしろい。ランチで入った「海上海」という上海中華の店は、現地の素朴な食堂風で気に入っている。ここで「ザーサイ豚肉細切り麺」を食べて、千駄木の台地側へと進んだ。根津神社を通りぬけて、森鴎外記念館の横から団子坂を横断、動坂上へと続く千駄木の屋根道をちょっと行くと、「旧安田楠雄邸庭園」の表札を掲げた旧宅が保存されている。

◆としまえんの創始者

旧安田楠雄邸庭園の表札がかかる日本家屋

 あらかじめ見学のアポを取って、立派な木戸の表門をくぐる。この家を建てたのは藤田好三郎という人物。日銀を皮切りにいくつかの銀行に関わった銀行家でもあるのだが、昨夏の閉園間際にここで訪ねた「としまえん」の創始者でもある。「建てた」と書いたが、実際「普請道楽」のある人で、清水組の建設とはいえ、かなり設計に関わったらしい。1919(大正8)年に完成して、関東大震災のあった23年には安田善次郎の娘婿・善四郎に売って、自らは中野の桃園町(駅の南西)に越してしまう。豊島園(練馬城跡)の土地を買って庭園にしたのが22年頃というから、この千駄木の家を手放したのは、豊島園の誕生が関係しているのかもしれない。
 千駄木からまた千代田線に乗って、北綾瀬へ。千代田線の線路は駅の先まで延びていて、北方に広大な地下鉄車庫がある。北東方向にしばらく歩くと「足立区立郷土博物館」がある。僕は各地の郷土博物館で主に近代(せいぜい大正、昭和以降)の展示資料を眺めるのが大好きなのだが、ここには「空襲の45年に撃ち落とされたB29のプロペラ」なんて珍品があった。
<所要時間・運賃>乃木坂−二重橋前=9分・170円/二重橋前−根津=7分・170円/千駄木−北綾瀬=17分・200円
<いずみ・あさと> 1956年生まれ。コラムニスト。著書に「1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。」など 
<なかむら・るみ> 1980年生まれ。イラストレーター。著書に「おじさん図鑑」「おじさん追跡日記」など
 長文版をホームページ「東京新聞ほっとWeb」で公開中。
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