<社説>五輪と福島 「復興」掛け声だけでは

2021年8月4日 07時36分
 「復興五輪」を掲げて誘致に至った大会は、その理念を実現していない。東京電力福島第一原発事故の被災者は「復興五輪」という言葉に追い詰められてきた側面すらある。五輪をむしろ、復興が道半ばであるという現実と向き合い続ける契機としたい。
 五輪・パラリンピックの競技会場が林立する東京都江東区で、福島からの避難者たちが住まいを追われかけている。
 福島県は国家公務員宿舎・東雲住宅に住む三十四世帯に立ち退きを迫り、退去しなければ法的措置を取るという文書を送付した。いずれも避難指示区域外からの避難者だ。非正規雇用で働き、コロナ禍で経済的困難がさらに増している人もいる。
 住宅は災害救助法に基づき無償提供されていた。区域外避難者は二〇一七年に無償提供を打ち切られ、今は通常家賃の二倍を請求されている。県は避難者の親の自宅を訪問して退去を促すよう要請するなど強硬な姿勢を見せている。
 長期的な避難を余儀なくされた原発事故被災者の住宅問題に、自然災害と同じ枠組みで対応することが適切なのか。その問いには国が答える責務がある。
 七月に開かれた避難者らの集会では「五輪の招致時、(当時の)安倍晋三首相に『(原発事故の状況は)アンダーコントロール』とされたことで、私たちは二〇年に向けて解決されるべき存在になった」との声も聞かれた。
 五輪本番でも福島に光が当たる場面はわずかだ。福島市での野球やソフトボールは無観客で開催された=写真。
 選手村の食事に福島県産食材が使用されているのに表示されていないとして、平沢勝栄復興相は大会組織委員会に「取り組みが不十分」と苦言を呈した。PRの場にするはずが、逆に、生産者たちを落胆させたり傷付けたりしてはいないか。福島のための実行計画が十分練られていたのか疑問だ。
 原発事故からの復興は、被災者に寄り添いながら時間をかけて取り組むしかない。復興五輪の掛け声倒れからくみ取るべき教訓は、その一点に尽きる。

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