原爆忌に考える 被爆地にともる「聖火」

2021年8月6日 07時44分
 毎月九日、そして毎年八月六日にも、長崎市の爆心地公園の一角に「聖火」がともされます。
 「長崎を最後の被爆地とする誓いの火」。核兵器が完全に禁止されるその日まで、長崎市民有志が守り続ける祈りの灯です。
 ギリシャ政府の許可を得て、オリンピアの丘で、五輪と同様古式ゆかしく、太陽から採火された「誓いの火」=写真。「平和の象徴を被爆地に」という市民の願いが実を結び、長崎市平和公園の平和祈念像前にしつらえた仮設灯火台に点火されたのは、一九八三年八月七日の夜でした。
 五輪以外で“聖火”が海を渡るのは、極めて異例のことでした。当時文化相だった女優、メリナ・メルクーリさんの特別な計らいがあったと言われています。

◆核廃絶は乙女の祈り

 ギリシャ政府に「聖火をください」と呼びかけた平和運動家の渡辺千恵子さんは、長崎最初の被爆者団体「長崎原爆乙女の会」の設立メンバーです。十六歳の時、「学徒報国隊」として勤労動員された軍需工場で被爆しました。
 崩れた鉄骨の下敷きになって脊椎を骨折し、下半身不随になりながら、車いすで世界を駆け巡り、九三年に六十四歳で亡くなるまで、核廃絶を訴え続けた人でした。
 渡辺さんは五輪の聖火に込めた思いをこのように書いています。
 <古くからギリシャでは、聖火が灯(とも)されている間は、どんなに激しい戦闘がおこなわれていても、ただちに休戦する習慣(ならわし)になっていたといわれる。聖火は平和のシンボルなのである。私たちのねがいも、核兵器のない、平和の社会を実現するということにあるので目的は合致する>「長崎よ、誓いの火よ」(草の根出版会)。
 「誓いの火」は八七年、全国から基金を募り、現在の場所に常設された灯火台に移されました。
 高さ約五メートルのタイル張り。仮設から移されるまでの間は、被爆者の一人が自宅の仏壇の前で大切に種火を守り続けていたそうです。
 コロナ禍と猛暑の中で開催中の東京五輪。首都では今日も五輪の聖火が燃えています。
 「五輪の聖火が戻って来たのは喜びたい。しかしオリンピックそのものがコロナと戦っているようなこの時期に、あの聖火を『不戦の炎』と呼んでもいいのだろうか…」。「誓いの火」を管理する市民有志の代表里正善さんの東京五輪に対する気持ちは複雑ですが、「ナガサキの聖火」に込めた祈りは揺らぎません。
 国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、五輪開幕前の先月十六日に広島を訪れて、原爆慰霊碑に献花したあと被爆者と面談し、「東京五輪、パラリンピックがより平和な未来への希望の光になると確信している。五輪を通じて世界平和に貢献したい」とのメッセージを出しました。
 原爆資料館の芳名録には「広島市民と広島市に対して敬意を表し、ここにわれわれの平和への努力を誓う」と記帳しました。
 同じ日、コーツ副会長は長崎市を訪れて「平和は五輪の中心理念で、平和の街としての長崎に敬意を払うために私はここにいる」というスピーチをしています。

◆五輪の理念を再確認

 被爆地と被爆者への敬意、そして五輪が掲げる平和の理念が真実ならば、七十六年前に広島で原子爆弾がさく裂したきょう六日午前八時十五分、選手や大会関係者に黙とうを呼び掛けてほしいという広島市などの申し出を、IOCが拒絶したのは不可解です。
 せめて八日に迫った閉会式、長崎原爆忌の前夜には、短くていい、ヒロシマ、ナガサキ、さらに世界に向けて、核のない平和な時代を希求する、具体的なメッセージを残してほしいと願います。
 視聴率至上、商業主義のうねりの中で、五輪の存在意義が大きく揺らぐ今だからこそ、そもそもの理念を、この世界で唯一の戦争被爆国で再確認してもらいたい。
 そこに希望を見いだす人がいる限り、五輪は今も「平和の祭典」、聖火は今も「平和の象徴」であるべきです。八月のこの時期ならば、なおのこと。
 <夜、聖火は太陽へ帰った。人類は四年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか>
 一九六四年の五輪を記録した映画「東京オリンピック」(市川崑監督)の掉尾(ちょうび)を飾る字幕の言葉。
 明後日、聖火は再び太陽へ帰ります。新しい希望の種火を、ヒロシマ、ナガサキ、そして世界に残していきますように。

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