紙、消しゴム、鉛筆だけ 「童話屋」創業者・田中和雄さん

2021年8月7日 13時29分
 東京都杉並区の住宅地にある「童話屋」は、詩人の工藤直子さんの代表作『のはらうた』や、一大ブームになった『葉っぱのフレディ』など、二百冊におよぶ詩集や絵本を世に送り出した小さな出版社。創業者の田中和雄さん(86)は、今も現役の編集者として活躍している。本の世界に精通した大先輩に、その奥深さを教えてもらおう-。そんな思いで、同社にほど近い自宅におじゃました。
 数年前、筆者が愛読している童話屋の『ポケット詩集』をコラムで取り上げたら、見ず知らずの田中さんから礼状が届いた。手書きの丁寧な文面から「他者との縁を大切にする人だな」と感銘を受け、いつかお会いしたいと思っていた。
 田中さんの経歴はユニークだ。二浪して入った大学時代は登山に明け暮れ、卒業後、広告会社の博報堂に入社。三十路を迎える頃、「もっと高給取りになりたい」と仲間十人で独立した。時流に乗って大企業を顧客にしたが、「いつまでも資本家の犬をやっていられない」と十年で辞め、子ども心に憧れた書店を始めることにした。
 もともと詩を書いていたわけでも、詩が好きだったわけでもなかった。なのになぜか店には詩人が集まるように。谷川俊太郎さん、茨木のり子さん、まどみちおさん…。気付けばそうそうたる顔触れと親しくなった。「ある詩人からは『あなたは童話屋という巨大なクモの巣を張った。そこにみんな引っ掛かったんだ』なんて言われました」
 子ども向けの書店が出版社になったのは、不思議な出会いがきっかけ。ある日、画家の安野光雅さんが店に飛び込んできた。自己紹介もそこそこにコーヒーに誘われ、近くの喫茶店へ。安野さんは紙ナプキンに奇妙な模様を描き、円筒状の鏡面に映すことで絵や文字が浮かび上がる「ひずみ絵」を披露した。「面白いでしょう?」と聞かれ、「面白いです」と素直に答えた。「じゃあ、出版しようよ」と立て続けに言われ、思わず「はい」と返事をした。そんなとんとん拍子で本をつくることになった。「よその出版社の編集者と仲たがいした安野さんが、たまたまうちを見つけて声をかけたみたいで。こっちは出版のことが分からず、全部言いなりでした」
 そうして完成した『魔法使いのABC』は初版三万部。初めての出版では考えられないほど強気の部数だったが、一カ月で重版がかかった。ただし、二匹目のどじょうを狙った『魔法使いのあいうえお』は返品の山。田中さんは「天国と地獄を味わいました」と苦笑する。以後、「自分でも分かる作品」を基準に詩集などを手掛け、着々とファンを増やしていった。
 かつては軍国少年で、十歳で終戦を迎えた。悲惨に思える戦争体験も、明るく語り聞かせてくれる。疎開先から脱走し、体育教諭に殴られて何本も歯を折られたこと。グラマン戦闘機の機銃掃射から命からがら逃れたこと。空襲で自宅周辺が焼け野原になり防空壕(ごう)で暮らしたこと。昆虫や鳥をつかまえて空腹を満たしたこと…。「実は当時のことは楽しい思い出にもなっていて。それが子どものすごいところですよね」
 四年前、初の著書となる『自分におどろく』を出版した。「きみがここにいるのはなぜか」を、進化や文明、宇宙の視点まで広げて語り聞かせる壮大かつコンパクトな絵本だ。二十年来構想を練ってきた作品。「これができたから、もう死んでもいいやと思えるようになりました」
 九十歳で引退するつもりだという。童話屋に後継者はおらず、一代限りになりそう。看板がなくなっても、わが子のような作品は残したい。その引き受け手を探すことが、これからの重要な仕事になる。
 「紙と消しゴムと鉛筆があれば詩がつくれるし絵も描ける。あの世にも、それだけは持ってゆきたい」と語る田中さん。机の上にパソコンはなく、インターネットや電子メールとも無縁だ。でも、そんな生活にまるで不都合を感じていない。「そんなにいっぱい情報があっても、食べきれませんからね」と笑う。 (岡村淳司)

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