<望 ~都の空から>熊谷 最後の空襲 戦禍の記憶

2021年8月15日 07時08分

広大な関東平野に広がる熊谷市の市街地=本社ヘリ「あさづる」から(安江実撮影)

 荒川と利根川に挟まれた広大な平野が広がる埼玉県熊谷市。2007年8月に当時の国内最高気温40.9度を記録し、18年7月には41.1度に更新。「日本一暑い街」として知られる。今夏も老舗百貨店・八木橋前の手動の大温度計看板に、報道陣や市民がカメラを向けた。
 残暑が厳しい8月15日は終戦の日であると同時に、熊谷市民には最後の空襲があった日としても記憶される。1945年8月14日深夜から15日未明にかけて米軍機が襲来し、市街地の3分の2が焼失。266人が犠牲になった。
 空襲に遭った星川通りには長崎平和公園の平和祈念像で有名な彫刻家・北村西望(せいぼう)作の「戦災者慰霊之女神」が立つ。熊谷駅前にある源平合戦の武将・熊谷(くまがい)次郎直実像も西望作。直実ゆかりの熊谷寺(ゆうこくじ)は空襲による焼失を免れた。
 暑さと同じくらいにラグビーどころとしても知られる。北部の県熊谷スポーツ文化公園内のラグビー場(彩の国くまがやドームの左側)では、春に高校ラグビーの選抜大会が行われ、2019年にはワールドカップ日本大会の会場になった。「ラグビータウン」として、歴史とスポーツ文化が融合する街づくりが進められている。 (渡部穣)

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