<つなぐ 戦後76年>8月15日の朝 ゼロ戦墜落で死亡 「もう少し終戦早かったら」 有志ら1月に発掘 機関銃や家族への手紙など展示 睦沢・歴史民俗資料館

2021年8月15日 07時25分

今年1月、大多喜町で発掘された機関銃。終戦の日に墜落したゼロ戦に搭載されていたとみられる=睦沢町立歴史民俗資料館で

 終戦の日の朝、連合軍機と戦って大多喜町泉水に墜落したとみられるゼロ戦の機関銃やエンジンの部品などが、睦沢町立歴史民俗資料館で公開されている。今年1月下旬に墜落場所を探す地元有志らが発掘した。(鈴木みのり)
 同館によると、1945年8月15日午前、旧茂原町(茂原市)の茂原海軍航空基地から飛び立った5機のゼロ戦が墜落し、操縦兵が死亡した。このうち、杉山光平上飛曹=当時(20)=と、増岡寅雄一飛曹=当時(18)=が乗っていた2機は、墜落場所が確認されていない。

杉山光平上飛曹

 2015年から地元有志らが墜落場所の調査を開始し、昨年7月末に、墜落現場を目撃した人の日記から、現場の地番が判明。今年1月下旬、重機を使ってゼロ戦の部品などを発掘した。
 展示されているのは、ゼロ戦の主翼に搭載されていた20ミリ機関銃のほか、墜落の影響により変型したとされるエンジンのシリンダーやピストンなど63点。杉山上飛曹や増岡一飛曹が家族や親戚に宛てた手紙もある。

増岡寅雄一飛曹(いずれも睦沢町立歴史民俗資料館提供)

 機関銃は長さ約1.8メートル。水田の深さ約3メートル地点で銃身から真っすぐ地面に突き刺さるような状態で発見された。銃身がやや曲がっているものの当時の塗装が残っており、同館の担当者は「奇跡的に良い状態で見つかった」と話す。
 増岡一飛曹が戦時中に伯母に送ったとみられる手紙には「別れる時、しっかりと手を握つた時は、胸が、一杯になりましたが、涙はやつところへました」などと書かれている。
 来館した睦沢町の無職村杉正代さん(78)は、「機関銃を当時の人がどのような思いで使ったのか、考えた。(杉山上飛曹らは)もう少し終戦が早かったら亡くなることもなかったのに」と話した。
 同館では、企画展「太平洋戦争 日本史上最大の歴史体験」として、発掘されたゼロ戦に関する資料のほか、真珠湾攻撃を伝える新聞記事など計138点を展示している。9月26日まで。月曜休館、入場無料。問い合わせは、同館=電0475(44)0290=へ。

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