反核への思いを「伝え続けることが宿題」 第五福竜丸元乗組員に寄り添い続ける展示館学芸員

2021年8月18日 12時00分

「第五福竜丸」元乗組員の大石又七さんとの思い出を話す市田真理さん=東京都江東区の都立第五福竜丸展示館で(池田まみ撮影)

 1954年の「ビキニ事件」で被ばくした漁船「第五福竜丸」の元乗組員で、3月に87歳で亡くなった大石又七またしちさん。反核への強い思いに晩年、伴走してきたのが、東京都立第五福竜丸展示館の学芸員、市田真理さん(54)だ。「命がけで語る大石さんの命を守っている気持ちでいた。伝え続けることが、大石さんからの宿題」。没後半年を前に気持ちを新たにした。(小林由比)

◆バチカンからお悔やみ…ローマ教皇に思い届く

 「これは遠い過去に終わったことではなく、未来の命に関わる事件です」。事件から67年にあたる今年3月1日のイベント。市田さんは、2019年11月に来日したローマ教皇フランシスコに、大石さんが送った手紙の一部を朗読した。

大石又七さん=2013年撮影

 核廃絶に関心を持つ教皇が広島、長崎を訪問することを知った大石さん。水爆実験の被害にも心を寄せてほしいと、仲間が次々亡くなり不安の中で生きてきたこと、30年間で700回以上体験を語ってきたことなどをつづった。市田さんは、体調を崩した大石さんに代わり、関係者に協力を求め、教皇の来日直前に手紙を届けることができた。
 返事を待ちながらイベントの6日後に大石さんは亡くなった。その約4カ月後の7月半ば、展示館を運営する第五福竜丸平和協会に、バチカン国務省からお悔やみのメッセージが届いた。そこには、教皇は大石さんの手紙を読み感銘を受けている、大石さんの努力が実を結ぶことを確信している、とあった。市田さんは「思いは届いていた。胸がいっぱいになった」と話す。

◆「人前では語りえぬ記憶も聞かせてもらった」

 市田さんと大石さんの出会いは01年。市田さんが展示館の有償ボランティアに加わってからだ。館を訪れる修学旅行生などに体験を語っていた大石さんは、その過酷な体験を知る市田さんにとっては、どこか近づきがたい存在だった。

展示されている第五福竜丸=東京都江東区の都立第五福竜丸展示館で(池田まみ撮影)

 だが、市田さんも来館者への解説を重ねるうち「もっと大石さんの話を聞きたい」と思うようになった。「事件のことは話せても、当時の漁師の仕事とか生活とか、そういうことまで話せない。もっと深く知りたいと思った」。大石さんを招いた勉強会をきっかけに距離はぐっと縮まった。
 熱をこめて被ばく体験を語った大石さんとは別の一面も、市田さんの大切な思い出だ。「14歳で漁師になり心細かったとか、船から人が落ちて怖かったとか、復員兵から戦時中の性暴力の話を聞くのが嫌だったとか。古い記憶があふれ出し、止まらなくなることがあった。語り部として使命感を持つ大石さんにとって、多くの人の前では語り得ぬ記憶も聞かせてもらった」

◆「『語り継ぎ』でありたい」

 大石さんが12年に脳出血で倒れた後は、市田さんが共に舞台に立ち、大石さんの言葉を引き出すなどして講演を支えた。2人の「コラボ講演」は19年12月までに50回を超えた。
 13年1月、都内での初のコラボ講演で、市田さんは「語り部大石又七の、私は『語り継ぎ部』でありたい」と話した。「語り継ぎ部、と言えたのは大石さんがいたから。大石さんの強い思いに共鳴して活動してきたけれど、もうそれができない」と失った存在の大きさをかみしめる。「でも、せめて大石さんと同じ方向を見ていたい。私がアンカーではない。大石さんが望んでいたように若い世代につないでいきたい」
 五輪・パラリンピック期間中、休館している展示館は9月7日再開予定。

 ビキニ事件 1954年3月1日、米国が、施政権下のマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆「ブラボー」を使った実験を実施。静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人や島民らが「死の灰」と言われる放射性物質を多く含んだサンゴの粉じんを浴びた。

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