<八王子新聞>東京なのに 東京じゃない? 根強い「独自路線」 神奈川県の時代も

2021年8月19日 07時17分
 62もの区市町村がある東京。担当記者が「編集長」になって一つの街を掘り下げる。

北条家の重要拠点だった八王子城跡

 今年四月、世田谷区と並んで都内で真っ先に高齢者へのワクチン接種を始め、注目された八王子市。実は同市には都内初や都内唯一がいっぱい。時に「八王子って東京なの」とやゆされても、どこ吹く風。むしろ、東京とは一線を画した独自の道を歩んでいるようだ。
 「都内初」で「都内唯一」の代表格は日本遺産。八王子城跡や高尾山薬王院、八王子車人形など二十九の文化財を元に、歴史や文化を絡めた「霊気満山 高尾山 〜人々の祈りが紡ぐ桑都物語〜」が昨年、文化庁に認定された。市日本遺産推進担当課長の平塚裕之さんは「八王子には貴重な文化財が多数残されていることの表れだと思う」と胸を張る。
 二〇〇七年に開設された「道の駅 八王子滝山」も都内初で都内唯一。八王子産の野菜や畜産物、加工品が並び、都内外から大勢が訪れる。「農業振興のために設置しました。『都内で初めて』は結果としてそうなっただけ」と副駅長の熊坂孝さんはクールに話す。
 一五年の中核市への移行も都内初。東京どころか全国に先駆けた活動もある。一九七一年から実施されている「ノーカーデー運動」は八王子発祥。七〇年代に高尾山で始まった「ごみの持ち帰り運動」も今では全国に広がっている。

タマネギたっぷりの八王子ラーメン。最近は「タマネギ増し」を提供する店も=八王子市の「元祖敏々亭 びんびん」で

 時に「都心部へのコンプレックス」を指摘されるが、それよりも東京と一線を画しているようにさえ見える。実際に、都心に遊びに行くときは「東京に行く」、出身地を聞かれたら「東京出身」ではなく「八王子出身」と答える市民は多い。刻んだタマネギが特徴の「八王子ラーメン」も市民が誇るB級グルメだ。
 「桑都日本遺産センター 八王子博物館」の加藤典子学芸員は「歴史的にも、江戸とは異なる発展の仕方をしてきた」と指摘する。
 八王子は戦国時代、小田原を拠点に関東を支配していた北条氏が「武田氏が支配する甲斐国との境」の重要拠点として整備。豊臣秀吉の小田原攻めは、八王子城の落城で勝負が決したともいわれる。その後、徳川家康が江戸に幕府を置くと、「近くも遠くもない」八王子は江戸からも泊まりがけで訪れる宿場町として栄え、独自の発展を遂げた。

「八王子は東京じゃなかったこともある」と話す八王子博物館の加藤典子学芸員

 「そもそも、八王子は東京ではなかった時代もあるんです」と加藤さん。一八七二(明治五)〜九三(同二十六)年まで、八王子を中心とする多摩地区の大半は神奈川県だった。当時の東京府が多摩川の水源を確保する必要があったことや、神奈川県議会の政治的な思惑などから多摩地区は東京府に移管されたという。
 都心へ向かうときは、やはり「東京に行く」と言う加藤さんは「私自身、東京よりも神奈川の方が身近に感じることもあります」とも。歴史に裏打ちされた「東京であって、東京でない」という意識は今の市民にも脈々と受け継がれ、「地内初」を連発する郷里への愛着を生んでいるようだ。

◆八王子市

 都心から西へ約40キロに位置し、牛頭(ごず)天王と8人の童子をまつる八王子神社が市名の由来。人口は約56万人。面積は186.38平方キロで、都内では奥多摩町の次に広い。1917年、東京府では東京市(現在の区部)に次いで2番目に市制を施行した。
★1960年まで、西八王子駅と高尾駅の間に皇族専用の「東浅川駅」があった。近くに皇室墓地「武蔵野御陵」があるため。現在は駐車場となっている=写真。
★市長公用車のナンバーは8(はち)0(おー)2(じ)。さりげなく、八王子好きをアピールしている。

◆編集後記

 民間の「住みたい街ランキング」では上位に入らないが、市の市民世論調査では、毎年「住み続けたい」との回答が九割に上るブラックホールのような街「八王子」。実際に八王子に暮らしてみると、買い物も娯楽も市内で事足りるし、自然も満喫できる。人があふれる「東京」からほどよく離れた「独自の街」は、コロナ禍においては特に「住み続けたい」と感じる市民も多いのではないか。
 文と写真・布施谷航
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