「産んでくれてありがとう」4歳の時に母亡くした娘、親になる 歌舞伎町ビル火災20年

2021年8月20日 06時00分
 東京・歌舞伎町の雑居ビルで2001年9月1日に44人が死亡した火災で、23歳で犠牲になった飲食店従業員の女性の長女(24)=新潟県在住=は、当時まだ4歳だった。母のいない寂しさを長い間こらえ、「誰のせいでもない」と言い聞かせて生きてきた。3年前に一人息子を出産。母が生きた年齢を超えた今、子を残して旅立った母の気持ちに寄り添えるようになった。(天田優里)

多数の死傷者を出した雑居ビル火災当時の現場=2001年9月1日未明、東京都新宿区歌舞伎町で

 出産から1年がたった一昨年、母の命日に合わせて火災現場を訪れた。雑居ビルは06年に取り壊され、別の建物になっていた。親として生きていくけじめをつけるため、「特別な場所」で母を思った。
 「幼い子供がいるのにいきなり死んで、お母さんはどんなに心残りだったろう」
 1歳のときに母の実家がある新潟県から上京し、杉並区のアパートで2人で暮らしていた。母は当時から、火災があったビル4階の飲食店で働いていた。
 その日、アパートで留守番をしていると突然、おじが迎えに来た。着いた場所で、おじから「お母さんの物、覚えている?」と言われ、見覚えのある化粧品とかばんを見つけ「これとこれはママの」と答えた。おじが母の遺体と遺品を確認していたことは、物心ついてから分かった。
 火葬の日。母がひつぎの中で眠っているように見え、「なんで寝てんの?」と親戚に聞いた。「お母さんはお星さまになったんだよ」と教えられたが、死の概念が分からず「ふーんって思った」と振り返る。
 断片的な記憶ながら、母と暮らした日々は楽しかった。夕方、仕事に出掛ける母を見送り、翌朝は一緒に朝食を取る。ネコが描かれたプレートに毎朝、ご飯を盛ってくれた。ディズニーランドに連れて行ってもらった。家の壁に落書きをしてすごく怒られた―。「母の化粧品を使ってこっそりメークしたこともあったけど、その時は怒らずに笑ってくれた」
 火災の後、母方の祖母が暮らす新潟に移り、親戚らに囲まれて育った。中学入学後、「なんで自分には親がいないんだろう」と寂しくなったが、感情を押し殺した。高校に入り、親友との出会いが乗り越える力になった。
 3年前に結婚し、長男を出産。「母は夜遅くまで仕事をして、昼間は私の育児で大変だったと思う。火災がなかったら、2人でもっと楽しい思い出をつくれたはずだったのに」

火災から20年。雑居ビルの跡地(中央右)では飲食店が営業していた=東京都新宿区で

 火災から20年、親のいない寂しさや葛藤を抱えてきたが、息子を育てるうちに、母の無念さが身に染みた。母との別れがあって今の自分があると考えられるようにもなった。
 「私を育ててくれたおかげで息子に出会うことができました。お母さん、産んでくれてありがとう」

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