サボる哲学 労働の未来から逃散せよ 栗原康著

2021年8月22日 07時00分

◆選択肢ぶち壊す衝動肯定
[評]白井聡(思想史家・政治学者)

 旺盛な著述活動を続けるアナキスト理論家、栗原康が今度打ち出したのは、『サボる哲学』だ。栗原の座右の銘は「はたらかないで、たらふく食べたい」。相変わらず、いやますます人を食っている! 「サボること」を哲学的に正当化するというのだから。
 いかにしてサボるか、サボるとは何か、サボっていいのか。否、われわれは断然サボらねばならぬ。これは冗談ではない、大真面目な話なのだ。なぜ、私たちはしたくないことをするのか。少年少女は進学を意識せねばならず、大学生は就職を意識せねばならず、勤め人は家族を持ち養うことや、老後を意識せねばならない。より良き将来のために、否、もっと正確には、将来の不安のために、いましたいことを犠牲にして、教科書を丸暗記したり、どうでもよい書類の山をつくったりする。そうやって我慢に我慢を重ねればいつか本当にしたいことができるのだろうか。ほとんどの人はできない。そうこうしているうちに墓穴に入る時が来るからだ。
 けれども、自分はしたくないことをさせられている、という意識があるうちはまだマシだ。国家も資本も、不安につけ込んでしたくないことをするのが当然のことだと人に思い込ませる。そう思い込んだ人は、自分が何をしたかったのかもわからなくなり、したいことをしている人をたまたま見かけると道徳的に非難さえするようになる。惨めだ。
 栗原は、「自由」よりも「自発」が好きだという。大事な論点だ。「自由」はともすると「選択の自由」に矮小(わいしょう)化される。いくら自由に選べるといっても、選択可能なものが全部クズならば、一体どこに自由があるというのだ。そんな時、既存の選択肢を全部ぶち壊してしまえという衝動が、「自発」なのだ。止(や)むに止まれず、存在の内側から湧き出してくる衝動、それが自発性だ。
 とすれば、「サボる」こととは、そうした内奥の感性が動きだすのを待つことにほかならない。栗原は本書で、古今東西の実によくサボった人々の見事なサボりっぷりと、これまた見事な衝動の暴威を万華鏡のように描き出している。人間について絶望したくないが絶望しかかっている人に、本書は大いなる励ましを与えるだろう。
(NHK出版新書・1023円)
1979年生まれ。政治学者・作家。著書『はたらかないで、たらふく食べたい』など。

◆もう1冊

栗原康著『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(角川ソフィア文庫)

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