朝刊小説「かたばみ」連載を前に 木内昇

2021年8月23日 07時31分
 作家木内昇さん(53)が執筆する朝刊連載小説「かたばみ」が、30日に始まります。連載開始を前に、今作へ懸ける思いを木内さんに寄稿してもらいました。
 人生とは、思い通りにいかないことの連続である、というのは、どうにかこうにか半世紀を生き延びてきた私の得た、もっとも確かな実感だったりします。努めても報われないことはたびたびですし、準備万端整えてきたのに時世に梯子(はしご)をはずされるのもよくあること。自分はしっかりやっているつもりでも、家族はじめ親しい人に煩わされる、仕事で話の通じない人と関わらなければならない、そういったことは誰にでも起こりうるのかもしれません。そもそも、時代や環境に個人が翻弄(ほんろう)されるのは、これまでの長い歴史の中で再三再四繰り返されてきたことではあるのです。
 コロナ禍の現在に至る少し前から、あたりに漂いはじめていたきな臭さのようなものが、ずっと気になっていました。巷(ちまた)では盛んに多様性が叫ばれ、ジェンダー論は、これに接しない日はないほど頻繁に交わされています。しかし私たちは本当に、さまざまな楔(くさび)から解かれて自由になっているのでしょうか? 目新しい言葉の飛び交う裏で、実際には因循で閉塞(へいそく)的な、ある種の統制に組み敷かれているような息苦しさも覚えるのです。これが単なる勘違いであればいいな、と願いながらも、時に思い切り深呼吸して、見えない鎖を取り払いたいという衝動に駆られます。
 新しくはじまる連載小説「かたばみ」は、戦時中から高度経済成長期に向かう時代を舞台にしています。槍(やり)投げ競技の元有望選手にして、引退後に教師となった山岡悌子(やまおかていこ)なる女性とその家族が、困難な時代を生き抜く軌跡を描いていくつもりです。当時はまだ男女の間に歴然とした区別があり、他と足並みを揃(そろ)えなければ社会生活を送ることすらかなわない、多様性とは程遠い世相でした。しかし悌子たちはきっと、自分らしい足取りで未来を切り拓(ひら)いていくのではないか、と期待しているのです。
 悌子を取り巻く一癖も二癖もある人々や、戦中と戦後で180度様相を変える教育現場、そして彼女が愛する野球や槍投げをはじめとするスポーツの数々。変容する社会の中で、彼らがどんなことを感じ、行動し、現実と向き合っていくのか、見守っていただければうれしいです。
 ……と、どうにかここまで書きましたが、自分の小説を説明、紹介する、という所業がなにより苦手なため、果たして読者の皆様に伝わるエッセイになったかどうか。またしても思い通りにならないことに見舞われている作家本人とは裏腹に、本作は、ままならなさを跳(は)ね返す人間の力強さや明るさが満ちたものになるような予感がしています。私の下手な解説に拠(よ)らず、まずはどうか連載小説をご一読いただけますことを、心より願ってやみません。
      ◇
 挿絵は、イラストレーター伊波二郎さん(64)が担当します。
<きうち・のぼり> 1967年東京生まれ。『茗荷谷の猫』が話題となり、2009年早稲田大坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守(くしひきちもり)』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞の3賞を受賞。他の作品に『よこまち余話』『光炎の人』『球道恋々』『火影に咲く』『化物蝋燭(ろうそく)』『万波を翔(かけ)る』『占(うら)』など。
<いは・じろう> 1957年、沖縄県生まれ。『佐賀のがばいばあちゃん』シリーズ(徳間書店)や『交通誘導員』『派遣添乗員』日記シリーズ(三五館シンシャ)などの挿絵・装丁画を担当。「江戸糸あやつり人形・結城座の十三代目襲名披露公演」の人形デザインなど演劇・オペラの宣伝美術も手がけている。

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