日本の植民地支配の痕跡残す「解放村」今や人気観光地 韓流ドラマのロケ地にも

2021年8月26日 17時00分
 韓国ソウル・南山の麓に「解放村ヘバンチョン」と呼ばれる地域がある。旧日本軍が1945年8月の終戦後に撤収した龍山ヨンサン基地近くの傾斜地に、北朝鮮からの避難民らがつくったバラック集落が起源。終戦76年の夏、龍山区北部の解放村一帯を歩くと、日本による植民地支配の痕跡が残る一方、近年、韓流ドラマの舞台となるなど若者の間で「ホットスポット」として人気を高めていた。(ソウル・相坂穣、写真も)

ソウルで8月中旬、教会の尖塔を中心に建物が密集する解放村

 最寄りの地下鉄緑莎坪ノクサンピョン駅にある市の広報施設に、米軍が終戦直後に撮影した航空写真が掲げられている。「上部に朝鮮総督府(日本の植民地支配の拠点)が写り、日本人が多く住んだ地域も見えます」。施設マネジャー魏悠炅ウィユギョンさんの説明を聞いて、一帯の地理を確認し、歩き始めた。

「敵産家屋」と呼ばれる日本風住宅を改造したカフェ

 日本人が建てた住宅は戦後、「敵産家屋」として憎まれ、大部分は解体されたが、最近は保存すべきだと考える人も増えている。漫画「ドラえもん」ののび太一家の家に似ていると言われる2階建ての建物にツタが絡まり、おしゃれなカフェとして再生されていた。
 南山方面へ10分ほど歩くと、解放村の玄関口である「108階段」がある。旧日本軍の戦死者を慰霊するとして43年に設置された「京城護国神社」につながっていた階段はその名の通り、108段からなる。
 敷地6・6万平方メートルの大規模な神社だったが、社殿は終戦後まもなく撤去された。108階段は現存する数少ない痕跡だが、中央部には2018年に小型モノレールのような斜行エレベーターが設けられた。
 猛暑の中、あえて階段を上ると、汗が噴き出した。サイダーでのどを潤そうと、小さな売店に入った。女性店主(85)は終戦後まもなく、現在は北朝鮮が支配する平安北道ピョンアンプクトから移ってきたと明かした。「初めはテント小屋に暮らし、『日本人の寺(神社の意味)』もまだあった。町並みはすっかり変わったけど、記憶は鮮明だ」と語った。
 龍山基地が戦後に米軍の拠点となったため、一帯には外国出身の住民も多い。教会の尖塔せんとうを中心に斜面に住宅が立ち並ぶ解放村を、聖書に登場するイスラエル・エルサレムのオリーブ山からの風景と重ね合わせて写真撮影を楽しみ、会員制交流サイト(SNS)に投稿する人もいるという。
 夕暮れ時、標高約100メートルの解放村の最高地点を目指すと、女子会やデートを楽しむ若者が目立った。南山タワーや漢江ハンガンを一望できるテラスを備えたイタリア料理店やビールバーが並ぶ。
 昨年、日本でもヒットした韓流ドラマ「梨泰院イテウォンクラス」の舞台となった食堂もある。ちょうど当日も、日本でもファンが多いKポップの男性歌手が出演する芸能番組の撮影中だった。
 新型コロナウイルスの感染拡大前は、日本からの観光客も多かったという。解放村で飲食店を営む60代の女性は「歴史的なものと新しいものが交わる独特な雰囲気に、今の若者はひかれる。コロナが落ち着いたら、また日本のお客さんにも訪れてほしい」と語った。

◆「痛い歴史だからこそ知ることが大切」地元ラジオ局長

旧京城護国神社の108階段。斜行エレベーターが設置されたことを惜しむ黄恵園さん

 郷土史を語り継ぐ地元ラジオ「龍山FM」の黄恵園ファンヘウォン局長は、負の歴史遺産も直視すべきだと訴える。
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 植民地解放後、北朝鮮から宗教弾圧を受けた人々が逃れてきた。当初、旧日本軍が放棄した官舎などに入ったが、米軍に退去させられ、誰も住む人がいなかった南山の斜面に住んだ。キリスト教徒が多く、教会が地域整備の中心になった。その後、地方の農村出身者らも住み、セーター作りなど家内工業で生計を立てた。人口は1970年代に3万人に達してピークを迎え、現在は約1万人で、10%を外国人が占める。
 「108階段」は日本人が多く住んだ地域から護国神社につながる階段だったという歴史があり、損なわれてはならないと考えてきた。エレベーターができたのは残念。われわれ韓国人には痛い歴史だからこそ、知ることが大切だ。(談)

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