女子バスケの知られざる歴史 日本初の試合に渋沢栄一貢献 飛鳥山の邸宅、庭を開放

2021年8月28日 07時19分

1901年、渋沢邸で行われた日本初の女子バスケットボールの試合の様子=いずれも日本女子大提供

 東京五輪では、バスケットボール女子で日本チームが初の銀メダルを獲得する快挙を成し遂げた。その原点は明治の大実業家、渋沢栄一の北区飛鳥山の邸宅にある。一九〇一(明治三十四)年、ここが日本女子大学校(現日本女子大)の運動会の会場となり、日本初の女子バスケの試合が行われたのだ。知られざる歴史を知ってほしいと、日本女子大がホームページなどを通じたPRに力を入れている。(砂上麻子)
 一八九一年、米国で誕生したバスケットボール。日本女子大学校創立者の成瀬仁蔵(一八五八〜一九一九年)は米国留学でバスケを知り、帰国後、テニスやダンスなどとともに体育のカリキュラムに取り入れた。
 当時は、今のように固定されたゴールではなく、竹の棒の先にカゴをつけ、その中に球を入れた。一チーム二十人で、ボールは相手ではなく味方のカゴに入れ、ドリブルよりパスが主流だった。

運動会のプログラム。27番目にバスケットボールの記載がある

 成瀬の功績を展示する日本女子大成瀬記念館(文京区)の杉崎友美学芸員は「当時はルールも未完成な部分があり、成瀬は日本の女性に合うように改良したのでは」と話す。
 女性が運動するのは「女らしくない」「体に悪い」と否定的に思われていた明治時代。成瀬は女性が健康に暮らすためには運動が大切だと考えており、バスケなど体育の成果を発表する場として、創立年から運動会を企画した。
 渋沢は大学校創立を支援した一人。第一回運動会の会場として邸宅の庭を開放した。
 運動会の種目の一つだったバスケットボールは、家政学部と文学部の学生が赤と白に分かれて対戦。大学校の機関誌「学報」はこの試合を、「赤を応援したり、白布を高く振り、たちまちどよめいた」と盛り上がりを伝えている。

渋沢邸とは別のバスケットボール試合会場を撮った写真。女子学生らが洋装のユニホームを着ている

 大学校敷地での第三、第四回の運動会では学生の発案で洋装のユニホームが作られ、「バスケットボール用運動服」として使用された。その後、運動会の名物になり、大正から昭和にかけ、大学校の伝統競技として受け継がれていった。
 バスケットボールは日本だけでなく世界に広がり、一九三六年ベルリン大会で五輪の正式競技になり、女子は七六年のモントリオール大会から採用された。
 杉崎さんは「女性の運動が認められていなかった時代、バスケなど女性のスポーツ普及の陰に、成瀬や渋沢がいたことを知ってほしい」と話している。

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