<視点>旧ソ連クーデター未遂から30年 プーチン体制で民主化は幻想か 外報部・常盤伸

2021年8月28日 14時25分
 超大国ソ連崩壊の序曲といわれる1991年8月の保守派によるクーデター未遂事件から、19日で30年を迎えた。80年代後半のペレストロイカ(立て直し)に始まる民主化への期待は、クーデター失敗で頂点に達したが、プーチン大統領による権威主義的統治が続く現在のロシアで、その記憶は完全に風化した。民主主義への転換ははかない夢だったのか。
 30年前の8月19日午前。クーデターに反対するおびただしい数の市民が街頭に出てきてモスクワは騒然とした雰囲気に包まれていた。クレムリンに面したマネージ広場に着くと、多数の市民が走り出していた。数百メートル先に待機中のソ連軍の装甲兵員車両に向かっていたのだ。既に周囲を大勢の市民が取り囲んでいる。

1991年8月22日、モスクワで、保守派クーデターの失敗を受け、エリツィン大統領(右から2人目)は、ロシア共和国ビルのバルコニーから、集まった多数の市民にVサインをして応じた=AP

 「あんた何をやっているの」「犯罪的な命令に従わないで」。中年女性が装甲車の上に仁王立ちになって、若い兵士に訴えていた。モスクワホテル前では多数の市民がクーデターに反対する大規模集会を開き、熱気で圧倒されるほどだった。
 エリツィン大統領ら、ロシア共和国側の決然たる姿勢と市民の決死の抵抗で、クーデターは3日間で失敗に終わった。ペレストロイカは、従順なソビエト(ロシア)市民を大きく変えたと感じられた。英雄となったエリツィン氏は、24日にソ連共産党を解散に追い込むなど急進的な民主革命に突き進んだ。その歴史的意義は、「ロシア8月革命」と呼ぶにふさわしい。
 9月3日の臨時人民代議員大会でエリツィン氏は「民主主義と自由を選びとったロシア国家は、二度と帝国にならず、兄にも弟にもならず、(周辺の)国々と対等な関係を築くつもりである」と宣言した。私は民主化の展望に楽観的になっていた。

◆強固な権威主義体制が定着

 それから30年。政治状況は暗たんたるものと言わざるを得ない。エリツィン政権の90年代を経て、その後、約21年間に及び現在も続くプーチン体制で、強固な権威主義体制が定着した。ゴルバチョフ氏は、現在の政治構造について、議会や政党、選挙、市民社会、報道の自由など、民主主義を構成する基本的な要素が「何の影響力も重みもない模造品のようなものだ」と本紙などとの書面インタビューで深く憂慮した。ペレストロイカで導入した大胆な政治改革の成果がすべて台無しになったとの認識だろう。
 現在も、数少ない独立系メディアやナバリヌイ氏ら体制外野党勢力に対する締め付けはますます強化されている。なかでも8月下旬、リベラルな報道姿勢で知られる有名な独立系テレビ局「ドーシチ」(レインTV)が、「外国のエージェント」に指定されたことは衝撃的だ。「ドーシチ」はメドベージェフ前首相が大統領だった頃から、メドベージェフ氏と良好な関係を維持し、最近までは政府系メディアと並んでクレムリン(大統領府)への直接取材を許されてきたからだ。「ドーシチ」はナバリヌイ氏ら体制外野党勢力の見解や動向も詳しく報道し、政権内の保守強硬派にとって目の上のたんこぶのような存在だったに違いない。大統領在任中は掛け声倒れに終わったものの政治改革を唱えたメドベージェフ氏ら体制内改革派の凋落ちょうらくぶりを象徴する動きともいえよう。

20日、クレムリンでメルケル独首相との共同会見で話すプーチン大統領=AP

 現在のロシアはソ連時代とは比較にならないほど消費生活は向上したが、民主化はなぜかくも無残なまでの失敗となったのか。もちろん重層的な要因がある。ソ連崩壊後、90年代の急進的な市場経済化は、すさまじい貧富の格差や社会混乱をもたらし、いびつな民営化は、オリガルヒと呼ばれるごく一握りの新興財閥の台頭をもたらした。多くの国民が真の民主主義よりも安定や秩序を求めたことは確かだが、それ以外にあまり語られていない重要な要因もある。
 「全体主義との決別」を強調したエリツィン氏だが、民主化改革は中途半端だった。エリツィン氏は8月革命でいち早くソ連共産党の活動を停止させ、国家と一体になった党を解散に追い込んだ。しかし民主主義への体制転換では共産党の解体だけでは不十分だ。KGBのような巨大な秘密警察機構の解体が必要だからだ。「国家の中の国家」と言われたKGBは国家や社会の各層に浸透していた。反欧米的で民主主義を敵視するなど政治性やイデオロギー色が極めて強く、CIA(米中央情報局)などのような西側の情報機関とは質的に異なる。
 このためソ連型社会主義体制を維持してきた東欧諸国の多くは、旧秘密警察出身者を公職から遠ざけるなど「浄化」(リュストレーション)と呼ばれる根本改革を断行した。

◆伝統的価値観を強調した「国家安全保障戦略」

 一方、ロシアでは逆方向をたどった。KGBは民主化の一環でいったん解体され、名称を変更し、FSB(連邦保安局)など複数の組織に分割されたが、その実体は不変のまま、KGB出身のプーチン氏の長期政権でむしろ肥大化した。
 現在、政権中枢で実権を掌握するのは、プーチン氏を中心に、側近のパトルシェフ安全保障会議書記ら、ひと握りの保安関係幹部とされる。これを如実に物語るのが、先月6年ぶりに改訂された最新版「ロシアの国家安全保障戦略」だ。「安保戦略」は今後の内政、外交、経済、軍事から科学技術、文化などに至るまで、あらゆる政策文書の指針だ。「ロシアの伝統的な精神的・道徳的価値観」こそ最優先で守るべきものとして、数十カ所にわたって強調される。そして、法の支配、個人の自由、基本的人権など、リベラルな価値観の擁護を安全保障の基礎においている民主主義諸国を最大の脅威とみなし、けん制する姿勢が貫かれている。
 こうした主張はパトルシェフ氏らが政府系メディアや演説などで常日頃訴えてきた持論だ。著名なロシア専門家マーク・ガレオッティ氏は「クレムリンが恐れ、嫌うもの全てが、外国の破壊行為と関連づけられ、まるで『偏執狂の憲章』だ」と指摘するが、あきれてばかりもいられない。内政、外交で攻撃的な路線が今後ますます強まるだろう。さて30年前のクーデターは共産党の保守派幹部や軍部が決起したと思われがちだが、徹頭徹尾、KGBのクリュチコフ議長の主導だったことが、事件の調査で明らかになっている。30年であたかも歴史のサイクルが一回りしたかのようだ。

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