泉 麻人 東京深聞《東京近郊 気まぐれ電鉄》西武特急に乗って、秩父の奥の小鹿野へ(後編)

2021年9月22日 09時40分

コラムニストの泉麻人さんとイラストレーターのなかむらるみさんが、電車に乗って東京近郊の街を旅する「散歩エッセー」です。

西武特急に乗って、秩父の奥の小鹿野おがのへ(後編)

 秩父の西方、小鹿野の町は赤平川の左岸に沿うように細長く続いている。バスに乗っていくと、町役場のあたりから中心街らしくなってきて、小鹿野町、原町あたりにはなかなか趣のある古い商家が目につく。その先の小鹿野(こちらは“町”がない)でバスを降りると、すぐ近くに予約しておいた“わらじカツ丼”の店「鹿の子」がある。
 ドアを開けると、学校の教室のように横長3、4列に配置された机に横並びした客が食事をしているのが目にとまったが、これはコロナウイルス対策によるものらしい。ところで「わらじカツ」とは草鞋わらじ状の平ったいカツという意味で、いまはここ小鹿野や秩父の名物とされているが、その昔は渋谷道玄坂裏あたりに、「わらじカツ」の絵入り看板を出した安いトンカツ屋があったから、おそらく終戦後の東京が発祥だろう。

小鹿野名物「鹿の子」のわらじカツ丼(850円)。

 壁に張り出された品書きに「わらじカツ丼」「半足カツ丼」「三枚カツ丼」などと掲げられているが、通常の「わらじ」がカツ2枚、半足が1枚…ってことらしい。出来あがるのを待っている間、厨房の方からタントントンと木を叩くような音が聞こえてくるので、覗きに行ったら、おかみさんが豚肉に包丁で刻みを入れながらノシていた。
「ウチはヒレ肉なんだけど、ロースを使う店があったり、いろいろなんですよ」
 ちなみに揚げられた平ったいカツは甘めの醤油で味付けされてメシの上にのっかっているだけで、これは新潟あたりに多いタレカツ丼にも似ている。物足りない人はドロソースを重ねがけしたり、七味を振りかけたりして味わうらしい。そう、壁の品書きに<ライダーズ膳>というセットメニューが記されていたが、小鹿野はバイクに乗るライダーズの人気ツーリング地らしく、当日の客も身なりからしてほとんどがバイク愛好家のようだった。
 わらじカツ丼を腹に仕込んで、さっき車窓越しに見た古い町並をゆっくりと眺め歩くことにしよう。商店は軒を表通り側に突き出した出掛造りの2階屋が多い。酒屋、醤油屋、それからガラス戸に<鐘紡原料問屋>と記した店を戸越しに覗くと茶箱が陳列されている。いわゆる茶舗のようだけれど、はて、カネボウ(鐘紡)が茶の販売なんかやっていただろうか? 別の表札に「絹糸」「繭」などの字を見つけて、そうか!っと思った。この家、もとは鐘紡に原料のオカイコさん(蚕糸)を供給する問屋をやっていたのだろう。
 店ではないけれど、秩父市街と同じく古い洋館センスの医院がある。玄関戸が板張りされているから、もはや廃屋なのかもしれないが、立派な石の門柱や綜絽しゅろの植木など秩父の医者の家とよく似ている。

小鹿野町のバス停留所に向かう道のりに発見した「ねことびだし注意!!」看板。


 そんな古い医院やタクシー営業所、旅館と酒屋なんかが寄り集まった、往時の宿場本陣っぽい場所に立つ小鹿野町の停留所から町営バスに乗って、両神りょうじん温泉(薬師の湯)へと向かった。
 小鹿野町南西の両神温泉のあたりは、平成の合併ブーム以前は両神村として独立していた地域。「道の駅」風のミヤゲ屋に隣接した「薬師の湯」という日帰り型の温泉施設が設けられている。炎天下の小鹿野町をたっぷり歩いたので、ここで汗を流して帰りたい。
 透明アルカリ質のクセのないお湯で、露天やサウナ…といった凝ったもんはなかったけれど、浴場の大窓に臨む山林の景色がいい。ロビーに飾られたクマの剥製を見た編集スタッフのT嬢が、何をカン違いしたのか「クマの燻製くんせい」と言い放ったのがおかしかった。

 この温泉に立ち寄ったのは、ここまで来ると町営バスで秩父鉄道の終点・三峰口へ出られるという理由もあった。帰路は三峰口から御花畑まで秩父鉄道で行って西武線に乗りつぐ、というルート。間庭、上野沢、古池、柿平…バスは山間の集落らしい素朴な名の停留所を通過して、深い峡谷に架かる橋を渡って三峰口の駅前に着いた。日も西に傾いて、向こうの山が鳴くようにヒグラシの音が聞こえてくる。
 駅前に並ぶ店も古いが、三峰口の木造平屋の駅舎も歴史を感じさせる。とりわけ、軒屋根のトタンや支柱に塗られた、くすんだスカイブルーの色合いが目に残る。そんな駅の軒下に駅員スタイルの女子キャラのパネルが置かれていた。いかにも“マニアタイプ”の若い男がそんな駅の玄関に何度もスマホを向けて写真を撮っていたが、彼のターゲットは女子キャラなのか? 鉄道の方なのか? 推察しているうちに銀に緑の2本線を入れた秩父鉄道の電車(7500系)の発車時刻が迫ってきた。



PROFILE


◇泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)、『大東京のらりくらりバス遊覧』(東京新聞)などがある。『大東京のらりくらりバス遊覧』の続編単行本が2021年2月下旬、東京新聞より発売された。




◇なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/






◇◆書籍本のお知らせ◆◇
待望の街コラム散歩エッセー 第2弾『続 大東京のらりくらりバス遊覧』として書籍化!
泉麻人 著  なかむらるみ 絵
定価1,540円(10%税込)
四六判 並製 214ページ(オールカラー) 
あの路線のあのツウなスポットをバスで探索する、ちょっとオツなバス旅エッセー待望の第2弾!“バス乗り”を自認する泉麻人さんが、人間観察の達人・なかむらるみさんを相棒に路線バスで東京あたりを探索。訪れたのは、有名どころから「東京にこんなところがあるの?」という場所、読むとお腹がすきそうな美味しい店や、完全に泉氏の趣味な虫捕りスポットなど盛りだくさん。面白い名前のバス停もしっかりチェックしています。
日々進化を遂げる東京(とその周辺)のバス旅、あなたも楽しんでみてはいかがでしょう。
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