逃げ場失った大勢の人「山のように折り重なっていた」消防隊員が悔やむ44人犠牲の悲劇

2021年8月31日 06時00分
<歌舞伎町ビル火災20年>
 東京・歌舞伎町の雑居ビルで2001年に44人が死亡した火災から、9月1日で20年になる。火災ではビルの階段に置かれた荷物が避難や救助を妨げた。救助に当たった東京消防庁の隊員は「逃げ場を失った犠牲者が山のように折り重なって倒れていた」と過酷な現場を振り返る。現在も雑居ビルの避難路に物を放置する行為はなくなっておらず、火災の教訓が生かされているとは言えない。(天田優里)

◆「20人の逃げ遅れ」の情報で事態一変

火災の資料を見ながら話す(左から)黒木征昭さん、菊池真紀夫さん、川越貴史さん=東京消防庁で

 火災当時、東京消防庁の新宿特別救助隊に所属し、現場に向かった菊池真紀夫消防司令長(58)、黒木征昭消防司令(50)、川越貴史消防司令(49)の3人が、報道各社の取材に応じた。
 119番が入ったのは、01年9月1日午前1時1分。多くの人でにぎわう金曜深夜の歌舞伎町の現場に隊員らが駆け付けると、地下2階、地上4階建てビルの4階から小さな黒煙が上っていた。隊長だった菊池さんは当初、「たいした火事じゃなさそうだ」と思ったという。だが「3階に20人の逃げ遅れ」の情報が入り、事態は一変した。

◆階段に重なる荷物、激しく燃えて救助の壁に

 ビルの階段は段ボール箱などの荷物が積み重なり、激しく炎を上げていた。階段の隙間は障害物で30センチほどしかなく、熱さで前に進めなかった。
 菊池さんらは防火服の中に水を入れて熱さをこらえて進んだ。15分かけて出火元の3階にあるマージャン店に着くと、排煙口付近の床に、10人ほどが折り重なっていた。窓がない中、床から高さ2メートルの壁にある排煙口から逃げ出そうとしたとみられる。手を伸ばすように亡くなっていた人もいた。

◆持ち主失った携帯電話、部屋中で鳴りやまず

 4階の飲食店はほぼ燃えた跡がなく「本当に火事現場なのか」と目を疑ったという。ただ、フロアには一酸化炭素中毒とみられる大勢の客や従業員が倒れていた。黒木さんは「部屋中の携帯電話が鳴りやまなかった。心配した人からの電話に持ち主はもう出ることができなかった」と言葉を詰まらせた。

多数の死傷者が出た雑居ビル=2001年9月1日、東京都新宿区歌舞伎町で

 3階のマージャン店で17人、4階の飲食店で27人が犠牲となり、3階から飛び降りた男性3人が重軽傷を負った。
 あれから20年。川越さんは「階段に荷物がなかったら、もっと早く救助に行けた」と悔やむ。「(ビルのオーナーや管理者に)階段に物を置かないことを徹底するよう伝えてきた」「44人の命を無駄にしてはいけない」。悲劇を繰り返さないため、現場を目の当たりにした消防隊員が持ち続ける誓いだった。

関連キーワード


おすすめ情報

社会の新着

記事一覧