婦人会館の源流記す手記発見、書籍化へ 女性の社会参画 横浜に拠点 大正〜昭和期、規約など回顧録 

2021年9月3日 07時10分

横浜婦人会館の歴史を記した手記と市の行政文書=横浜市南区で

 女性の社会活動の拠点として昭和初期に日本で初めて建設された婦人会館「横浜連合婦人会館」の設立経緯などを記した手記が、横浜市南区の男女共同参画センター横浜南(フォーラム南太田)で見つかった。同施設の指定管理者・横浜市男女共同参画推進協会は「施設の源流が分かる貴重な資料」として書籍化する方針。(志村彰太)
 婦人会館は関東大震災(一九二三年)後の救援活動をした女性社会活動家らの団体「横浜連合婦人会」の活動拠点として、二七年に同市西区宮崎町に建設。代表は横浜を拠点に活動した実業家・渡辺福三郎の妻で慈善事業家たま(一八五八〜一九三八年)が務めた。
 その後、婦人団体も戦時体制に組み入れられる中、三六年に土地と建物を市に譲渡することを決めて婦人会は解散。戦時中は旧日本軍が使い、戦後は「紅葉坂(もみじざか)ホテル」の通称で進駐軍などの宿泊所として使われた。五二年に市に返還され、市直営の「市婦人会館」として再出発。老朽化により七八年に南区南太田に移転し、現在は「フォーラム南太田」として同協会が運営している。
 二年前、小園弥生館長らが館内の本棚を整理していたところ、風呂敷に包まれた古い手記二冊と、戦後間もない頃の婦人会館の返還を巡る大量の市の行政文書が出てきた。手記はともに原稿用紙をとじたもので、分厚い方には「昭和十八年、一月 野村美智子記」と記してあった。横浜キリスト教女子青年会(YWCA)会長だった野村美智子(一八七五〜一九六〇年)が、婦人会解散後に記録として残したとみられる。
 婦人会館建設に至るまでの活動や婦人会の規約、会員十七人の回顧録がまとめてあった。「種々なる有益の事業がこの会館の内より社会に生まれ出るであろう」などと会館の完成を祝う実業家・原三渓の式辞もあった。目次には「防空演習」の項目もあったが、本文は欠落していたという。
 協会は手記を書籍にする作業を進め、来年三月に百冊を発行する予定。経費の一部について寄付を募っている。小園館長は「資料として貴重なだけでなく、大正〜昭和期の女性のソーシャルビジネス(社会的事業)について多くの人に知ってほしい」と話す。一緒に見つかった市の行政文書は今後、専門家とともに詳細に分析するという。寄付などの詳細は協会のホームページで。

関連キーワード


おすすめ情報

神奈川の新着

記事一覧