帰国の米兵「戦争は、ほとんどの人にとって良いことなど何もない」 戦死より多い帰国後の自殺 <米国の20年戦争④>
2021年9月4日 06時00分
気付いたら、バスタブでワインをがぶ飲みしながら号泣していた。ロケット弾が飛んできたと思ったら、次の瞬間には自分の部屋にいる。2013年3月から同12月までアフガニスタン東部ジャララバードの基地に情報分析官として従軍したザッカリー・ジュリアノ(29)は、帰国後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされていた。
◆「耐えられると思っていたけど、無理だった」
ニューヨーク・マンハッタンに隣接するロングアイランド島生まれ。米中枢同時テロが発生したのは9歳の時だった。すぐに世界貿易センタービルの倒壊跡地を見に行き、テロを主導した「ビンラディンを殺してやる」と誓った。
しかし、高校卒業後18歳で軍に入ったが、ジャララバードに派遣された時にはビンラディンはすでにこの世になく、タリバン政権崩壊からは10年以上たっていた。「ここで何をしているんだろう」。目的を見失ったまま軍務についた。
ザッカリーは映画のような銃撃戦の経験はない。彼が経験した「戦争」は空爆のカメラ映像だった。米軍は自国兵士の犠牲者を減らすため、無人攻撃機による空爆を強化していた。灰色の背景に、人間など体温のあるものが白か黒で浮かび上がる。砲弾が当たると、白黒の絵の具のように飛び散る。そして時間の経過とともに灰色となり、背景に溶け込んでいく。
幽霊を追い掛けて殺すゲームのよう。「悪者」のタリバンは人間ではないのだろうか。市民の巻き添え死も多く目にした。「耐えられると思っていたけど、無理だった」。赴任して2、3カ月で、すべてが嫌になった。
◆「20年かけてこれなら、さらに続けて何ができるのか」
1年間の予定だった任期は9カ月に縮まり、持ち帰った物はアフガン軍司令官にもらったスカーフだけ。写真はほとんど撮っていない。酒に溺れ、数カ月後にPTSDの診断を受けた。幸い信頼できる医師が「きみは正しい」と受け止めて自分の命を救ってくれたが、自ら命を絶った軍の知り合いは約20人に上る。
米ブラウン大ワトソン研究所によると、同時テロ後、イラク戦争なども含めた戦死者は7000人超で、自殺者は4倍以上の3万人超にのぼる。精神的負担の増加や、銃が簡単に手に入るようになったことなどで、以前より自殺者の割合が増えているという。
アフガンからの米軍撤退が結果的にタリバンの復権を早めたことを憤る一方、「20年かけてこれなら、さらに続けて何ができるのか。あとどれだけの人命を奪い、金をかければいいのか」と撤退自体には理解を示す。
撤退後は中国に対する戦力増強が見込まれる米軍。歩調を合わせるかのように防衛費を増やす日本に「中国の脅威に備えたいという思いは分かる」としつつ警鐘を鳴らした。「戦争は、ほとんどの人にとって良いことなど何もない」(敬称略、ワシントンで、吉田通夫)=おわり
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