色川大吉さん死去 民衆史、「五日市憲法草案」発見

2021年9月8日 07時05分
 明治期の自由民権運動の広がりを示す「五日市憲法草案」発見で知られ、「自分史」執筆を提唱した歴史学者で東京経済大名誉教授の色川大吉(いろかわだいきち)さんが七日、老衰のため死去した。九十六歳。千葉県出身。葬儀は密葬で行う。
 東京帝国大に入学後、学徒出陣で海軍入り。敗戦後の一九四八年に東京大を卒業、中学教師をしながら社会運動に携わった。その後、東京郊外の多摩地区の自由民権運動をテーマに「明治精神史」を刊行、六七年に東京経済大教授に就いた。
 市民と共に地域史研究を進め、六八年に旧五日市町(現あきる野市)の民家の蔵から「五日市憲法草案」を発見した。草の根の社会運動の先例として著書などで紹介。「民衆史」のジャンルを確立し、権力におもねらない独自の歴史観を貫いた。一市民の立場で執筆した著書「ある昭和史」は、その後の自分史ブームの先駆けとなった。
 水俣病の学術調査団や、作家小田実さんと始めた「日本はこれでいいのか市民連合」など社会運動にも従事し、リベラルな知識人として知られた。ユーラシア大陸横断やチベット踏査にも参加。晩年は八ケ岳のふもとの山梨県に転居し、近隣住民のネットワークによる新たなコミュニティーづくりに取り組んだ。
 「明治の文化」「自由民権」「不知火海民衆史」など著書多数。「色川大吉著作集」全五巻がある。
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 五日市憲法草案は、明治期に全国で作られた民間憲法私案の一つ。旧五日市町(現あきる野市)で一八八一年に起草された。二百四条から成り、基本的人権が詳細に記されているのが特徴。自由権、平等権、教育権などのほか、地方自治や政治犯の死刑禁止を規定。君主制を採用する一方で国会の天皇に対する優越を定めている。

◆人々の息遣い伝えた

<成田龍一・日本女子大名誉教授(歴史学)の話> 「戦中派」の色川さんの原点には、戦争にもだえ、歴史に虐げられた体験がある。戦前の皇国史観にも、それが反転した戦後のマルクス主義的なものにも、歴史が個人の思いとは別に動くという考えがあったが、色川さんは人を軸に歴史を描くことを考え続けた。
 自由民権運動の研究では、板垣退助や植木枝盛といった“エリート”ではなく、民衆こそが運動を支えた一番分厚い層だと主張した。地域に根差して生きる人々の息遣いを伝えようとした人だった。まだまだ元気でいてほしかった。

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