被災地支援に駆け付け、犠牲になった日本人男性「彼は私たちのヒーロー」 トルコ東部地震から10年

2021年9月8日 12時00分

2011年11月、トルコ東部の地震被災地に支援物資を届ける宮崎さん=AAR提供

 トルコ東部ワン周辺で2011年、マグニチュード(M)7.2の地震が起き、その後の余震で1人の日本人男性が犠牲となった。NPO法人「難民を助ける会(AAR)」(東京)元メンバー宮崎淳さん=享年(41)。日本から地震被害の支援活動に駆けつけ、宿泊先のホテルの倒壊に巻き込まれた。地震からまもなく10年となるが、現地では今も宮崎さんを慕う声が多く聞かれる。(トルコ東部ワンで、蜘手美鶴、写真も)

◆宮崎さんの名を冠した公園が9月に拡張

 公園内の木立の中をしばらく歩くと小さな広場があり、そこには、ほほ笑む宮崎さんの胸像。公園は昨年8月、宮崎さんの名を冠して開園した。現在は拡張工事中で、今月25日に完成するという。
 公園整備員のハティップ・オルハンさん(25)は「彼は私たちのために日本から来てくれた。ワンの人たちは決して忘れていない」と話して胸像に触れ、同僚のチャガラー・イルハンさん(34)も「彼は私たちのヒーローだ」とほほ笑んだ。

8月末、トルコ東部ワンで、宮崎さんの胸像に触れるオルハンさん(右)とイルハンさん

◆2000年以降最大の地震被害

 トルコ東部地震では10月23日の本震と、11月9日の余震で計640人超が死亡し、4000人近くが負傷した。倒壊した家屋は6000棟に上り、地震大国トルコにおいても00年以降最大の被害となっている。
 本震直後、AARは支援チームの派遣を決め、宮崎さんは「ぜひ行きたい」と申し出たという。仲間2人と日本を出発し、現地では被害状況や被災者のニーズ調査、支援物資の配布などを行った。控えめで物腰柔らかな人柄は現地の人に好かれ、宮崎さんに「ずっとトルコに残ってほしい」と言う人もいたという。
 地元病院のカディル・バートン医師(43)は震災当時、支援に奔走する宮崎さんの姿を覚えている。負傷者で病院がごった返し、休む場所もない中、宮崎さんがバートンさんの娘のために休憩場所を確保してくれたという。「被災者だけでなく娘も助けてくれた。亡くなったときは大変ショックだった。ワンにとって大切な人だった」と振り返る。

8月末、トルコ東部ワンで、宮崎さんとの思い出を語るバートン医師

◆今も途切れない感謝

 トルコ東部地震の7カ月前、日本では東日本大震災が起き、トルコでも被害状況が大きく報じられていた。その分、日本の支援は特別な感謝をもって迎えられ、宮崎さんの死も社会に大きな衝撃を与えた。宮崎さんの功績をたたえ、道路や公園、学校には宮崎さんの名前が付けられ、今でも授業で宮崎さんを取り上げることもあるという。
 感謝の気持ちは今も途切れず、AARには「ご遺族に手紙を渡してください」「日トルコ友好の写真集を作りました」などとトルコから連絡が来るという。子どもたちが手書きした宮崎さんへのメッセージが送られてきたこともあった。
 宮崎さんの同僚だった穂積武寛さん(54)は電話取材に「彼を1人の大切な人として覚えてくれていて大変ありがたい。宮崎さんがトルコでしっかり支援活動してくれたことが、今につながっている」と話した。

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