大会中は毎日朝から晩までほぼ全競技を取材…パラスポーツの撮影を40年続ける写真家・清水一二さん
2021年9月17日 13時00分
約40年、パラスポーツの撮影を続けてきた写真家の清水一二 さん(67)=横浜市旭区=が今月5日まで開かれた東京パラリンピックの取材に臨んだ。パラ大会の撮影は今回で16回目。コロナ禍で1年延期、原則無観客と過去に類を見ない大会となったが「選手はみんな生き生きとしていた」。写真は30日まで、東京都庁第1本庁舎で紹介されている。 (酒井翔平)
生まれつき両腕がなく、弓を右足の指で挟んで矢を放つアーチェリー選手、口にくわえた器具を使って、狙った先にボールを投げる脳性まひのボッチャ選手―。大会期間中の13日間、毎日朝から晩までシャッターを切った。ほぼ全ての競技を取材し、大舞台で躍動する選手の姿を記録した。
印象に残ったのが、競泳の木村敬一選手(31)が男子100メートルバタフライで優勝した場面。長年追い続けていた全盲のスイマーだ。「目の見えない怖さを克服してトップに立った。金メダルを取れたことはうれしかった」。優勝を決めて雄たけびを上げる木村選手の写真を、自身のホームページのトップ画像にした。
大学時代に写真を専攻。就職した神奈川リハビリテーション病院(神奈川県厚木市)でパラスポーツと出会った。義足製作などの資料として切断を余儀なくされた患者の手足などを撮影する傍ら、車椅子生活を送る職場の女性職員がテニスをする様子を撮影すると、とても喜ばれた。スポーツをきっかけに人生を前向きに過ごす姿に触れ、「パラスポーツを応援したい」。そんな思いが芽生えた。
初めてパラリンピックを取材したのは1984年のオーストリア・インスブルック冬季大会。当時、日本人カメラマンは清水さんだけだった。30代後半でフリーの写真家になり、学校の卒業アルバム制作などを請け負って出張費を稼ぎながら、パラ大会の取材を重ねてきた。
今大会後、ボッチャの競技用具の開発を新たに始めた他業種の国内メーカーと出会った。「多くの人が障害者のことを理解してくれた非常に良い大会だった。開催した意義はあった」
ただ、ここからがパラスポーツがさらに発展するチャンスでもあり、正念場でもあると考えている。
清水さんはこう訴える。
「これからも国やスポンサー企業の支援が一層必要。競技を見た人も感動しただけで終わらず、ボランティアへの参加など協力をしてほしい」
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