<竿と筆 文人と釣り歩く>「青べか物語」山本周五郎

2021年9月18日 06時33分

旧江戸川に係留し、釣り客を乗せて出船時間を待つ吉野屋の釣り船。東京メトロ東西線が真上を走る=東京都江戸川区と千葉県浦安市に架かる浦安橋から

 釣りと言えば数ある娯楽の一つにすぎないが、古来、たかが釣りに取りつかれた作家、文化人は数知れない。釣聖と呼ばれた幸田露伴、魚眠洞(ぎょみんどう)と号した室生犀星、「鱒(ます)」の字を筆名に使った井伏鱒二など。その著作群をひもとくと、意外にも東京と、その近郊は豊かな自然に恵まれ、水と魚にこよなく愛された町であったとよくわかる。ここはひとつと、下手の横好きの記者が竿(さお)を片手に文人の足跡をたどる企画を始めます。どうかご辛抱、おつきあいを。

◆描かれた「浦粕町」は今 湿地帯 夢の国に様変わり

 「浦粕(うらかす)町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔(のり)と釣場とで知られていた」
 山本周五郎が一九六〇年に文芸春秋に連載した小説「青べか物語」の冒頭の一節である。
 小説の筋は、物書きを業(なりわい)とする「私」が、ふらりと訪れた浦粕町に住みつくことから始まる。ぼろ舟の「青べか」を買って、釣りをしたり、昼寝をしたり、スケッチをしたりと野放図な暮らし。いつしか「蒸気河岸の先生」と呼ばれ、住民とのつきあいも生まれる。だが、この住民たちが常識を超えた個性派ぞろいで、「権威を嘲弄(ちょうろう)するという観念が基本になっている」と「私」は見ている。時代小説の名手には珍しい現代小説だが、あくまで庶民の側に立つという姿勢が、苦労人の山本らしく小気味よい。
 フィクションの体裁をとっているが、山本は実際に一九二八年から二年ほど千葉県浦安町(現浦安市)に住んだことがあり、「浦粕町」は「浦安町」を、「根戸川」は、東京と境をなす「旧江戸川」をモデルにしている。当時、東京から浦安方面に向かう唯一の交通手段は小名木川や旧江戸川を行き来した乗合蒸気船で、その停船場が蒸気河岸だった。まだ二十五歳だった山本は、蒸気河岸にあった老舗の舟宿・吉野屋の二階に半年ほど寄宿し、やがて一軒家を借りて腰を落ち着けた。小説に登場する舟宿「千本」のモデルは、つまり吉野屋だ。
 現在の吉野屋は新鋭の釣り船、屋形船など十九隻を擁する繁盛店。訪ねると、五代目当主の眞太朗さん(71)が迎えてくれた。眞太朗さんによると、小説に描かれたいたずら小僧、小学三年生の「長」少年は、十六年前に八十六歳で亡くなった四代目の長太郎さんのことだという。

旧江戸川の堤防沿いにある吉野屋=千葉県浦安市で

 「親父(おやじ)は頭が切れて声が大きくて、『長』がそのまま育ったような人でしたよ」。店には成人した長太郎さんが文豪と並んで写った写真が飾られている。
 「父は先生と一緒に浅草に映画見物に行ったことも覚えていた。でも人に聞かれると『昔のことは忘れた』なんてね。根っからの照れ屋なんで」とも。
 かつて浦安の海は「ハマグリの相場が決まる」といわれた貝の産地だった。遠浅の海に脚立を立てて竿を出すアオギス釣りは初夏の風物詩だったが、埋め立てで、六四年に終わりを告げた。今は遠く木更津や観音崎の沖まで釣り船を走らせて営業している。

東京ディズニーランドとディズニーシー沿いの浦安の海を航行する釣り船

 「蒸気河岸の先生」の気分を味わおうと釣り船に乗った。旧江戸川を下ると、左手に東京ディズニーシーの火山が見えてきた。ムジナやカワウソがすむといわれた湿地帯「沖の百万坪」とはこのあたり。作家がフナを釣った水路は埋め立てられ、今はミッキーマウスが踊っている。
 東京湾アクアラインの海ほたるを越えたあたりで竿を出した。見渡すと海上は貨物船の群れ、陸には煙を吐くコンビナート、空にはヘリが四六時中舞っている。そんな鉄とコンクリートの景色の中で、黄金色に染まったアジが五十尾も釣れた。
<山本周五郎> (1903〜1967年)山梨生まれ。東京・木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込み、独学で作家活動を始める。代表作に「日本婦道記」「樅ノ木は残った」「赤ひげ診療譚(たん)」など。 
 文・坂本充孝/写真・田中健
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