相手の心奪う言葉の力『明治の説得王・末松謙澄(すえまつ・けんちょう)』 大東文化大教授・山口謠司(ようじ)さん(58)

2021年9月19日 07時00分
 日本の近代化の黎明(れいめい)期、言葉を選んで丁寧に説明し、相手の立場に寄り添って説得する姿勢を生涯貫徹した人物、それが末松謙澄である。「こういう人間が今の日本のトップになってくれたら、と思わずにはいられません」と熱く語る。
 日米和親条約が締結された翌一八五五年、現在の福岡県行橋市で大庄屋の四男に生まれた。漢文、漢詩で培った「抜群の文章力」で、諸外国の政情などについて大新聞で健筆を振るう。後の初代内閣総理大臣、伊藤博文の知遇を得て官界に身を転じ、七七年の西南戦争では山県有朋がかつての盟友の西郷隆盛に出した「降伏勧告状」を起草。情理を尽くした格調の高い名文は「西郷軍の兵士の胸も熱くさせた」と言う。
 翌七八年、英国、フランスの歴史編纂(へんさん)法を研究するため伊藤の推挙で英国に留学。ラテン語、ギリシャ語などを学んでケンブリッジ大学への入学を果たす一方、源氏物語を初めて英訳して出版、日本美術史の研究書の編纂にも尽力した。八年間の留学を終えて帰国後は、ロンドンでの観劇経験を踏まえて歌舞伎など日本の演劇の改良運動に注力。大日本帝国憲法の草案も練ったとされる。「日本の近代化の源流を探ると、どの分野でも謙澄の名前が出てきます。彼は言葉で道を切り開き、近代日本を造ったのです」
 真骨頂を発揮したのが一九〇四年に開戦した日露戦争の時。日本を敵視する「黄禍論」を正し、欧州の世論を日本への理解に向けさせるため志願して渡英。講演、雑誌や新聞への寄稿などを精力的に行い、祖国の窮地を救った。「説得の得には、相手の心をゲットするという意味があります。謙澄は人の心を奪う卓越した能力の持ち主でした」
 「自身の地位や名誉にはまったく関心がなかった」と言う。衆院議員、逓信大臣、内務大臣など要職を歴任したが、岳父となった伊藤が〇九年に暗殺されて以降は第一線を退き、明治維新史研究の第一級史料とされる『防長回天史』(全十二巻)の編纂に私財をなげうって没頭。完成直後の二〇年、スペイン風邪で六十五年の生涯を閉じた。
 大学での専攻は文献学。二〇一六年刊行の『日本語を作った男 上田万年とその時代』で和辻哲郎文化賞に輝いた。今作の評伝と同様、日本の近代化の礎を築いた、知名度のない人物に光を当てた労作である。
 インターナショナル新書・九六八円。(安田信博)

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