関東大震災、東京大空襲くぐり抜けた浅草の土蔵が再開発で解体へ…オーナーが移築先探す

2021年9月19日 06時00分
 関東大震災、東京大空襲でも倒壊、焼失をのがれた東京・浅草にある2階建ての土蔵が、一帯の再開発に伴い来年初めに解体される。国の登録有形文化財でギャラリーとして活用されてきた築153年の貴重な建築だ。専門家は歴史的価値を指摘。別の場所での保存を望むオーナーが移築先を探している。(井上幸一)

◆築153年、「最後の江戸っ子文化」

 2階の太い松の梁には、墨で「慶応四戊辰年八月吉日」の文字。慶応4年とは1868年で、明治元年と同じ年だ。地元・台東区の文化財保護審議会委員で、建築史家の稲葉和也さん(83)=東京都狛江市=は「初めて文字を見たときには驚いた。戊辰戦争と同じころ。武士が争っている時、町人は蔵を建てていた。まさに最後の江戸っ子文化で、台東区内に残る土蔵では最古」と、価値を強調する。

「慶応四戊辰年八月吉日」と記された土蔵の梁(はり)の部分=東京都台東区雷門のギャラリー・エフで

 1998年に国の登録有形文化財となり、2018年には台東区景観重要建造物に指定された。稲葉さんは「商家が誇りを持って建てた堅牢な土蔵で、震災も戦争も乗り越えられた。解体後も適地に移築して保存を」と希望している。
 土蔵があるのは、浅草寺の雷門から歩いて3分ほどの場所。付近は江戸時代から隅田川で木材を運ぶ材木問屋が並び、大店の経営者、3代目竹屋長四郎の家族が蔵を建てた。

1945年、松屋デパートの屋上から撮影された東京大空襲で焼け野原になった浅草。円内が焼け残った土蔵=東京大空襲・戦災資料センター提供

 大正時代の関東大震災(1923年)の後、材木問屋は木場(江東区)に移り、特殊金属販売会社「淵川金属事務所」が蔵を使用。戦後は隣に鉄骨の社屋を建て、蔵も所有した。社長亡き後、1997年に村守恵子さん(75)ら娘たちが改修し、「ギャラリー・エフ」をオープン。旧社屋の1階をカフェ、趣のある土蔵の1、2階を展示スペースにした。

◆大空襲の「目撃者」

 蔵では、原発事故後に福島県に残された猫に思いを寄せる展示、性的マイノリティーを写した写真展などを催し、社会にメッセージを発信してきた。東京大空襲犠牲者の「声」を身体で表現する公演を毎年行ってきたダンサーの鈴木一琥さん(48)=墨田区=は「蔵は大空襲の『目撃者』で、私にとって命を持った存在。対話しながらパフォーマンスをしてきた。50年、100年後にはさらに価値は高まるので、文化財として残してほしい」と語る。

土蔵の中で、その価値を説明する建築史家の稲葉和也さん(左)と移築先を探している村守恵子さん=東京都台東区雷門のギャラリー・エフで

 オーナーの村守さんによると、隣接する敷地と一体的に再開発する計画が浮上。旧社屋が老朽化したこともあり、土地を手放すことにした。ギャラリーは年末に閉め、浅草の別の場所で再開する予定という。
 土蔵は移築を模索し、場所と費用の提供者を探してきた。コロナ禍の経済状況もあって見通しは立っていない。「激動の時代をくぐり抜けてきた蔵を何とか残せれば…。移築先を最後まで頑張って探したい」と村守さんは話している。
 連絡先は、ギャラリー・エフ=電03(3841)0442=へ。

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