<東京大空襲 体験者の証言>「助けて」の声に構わず逃げた…後悔の記憶今も

2021年9月23日 06時00分
<連載>封印されたビデオ③甚野年子さん(90)

目も開けていられないような炎の中を逃げた体験や疎開の記憶を話す甚野年子さん=東京都墨田区で

 惨事の中、とっさにとった行動が悔やまれる。「あの人はどうなったのだろう」。東京都墨田区の甚野年子さん(90)は、76年たった今も脳裏から離れない記憶がある。
 都に頼まれてカメラの前で話した内容は、DVDにして保存している。東京大空襲に襲われた日の朝の記憶を生々しく語った。
 錦糸町駅近くに店を構える製材業者の長女だった。弟をおぶって火のなかを逃げ、店の近くの自宅付近まで戻ってきて安心しかけたとき。突如、地を這うように手が伸びてきた。「助けて…ください」。髪の毛は焼け、着物がボロボロの女性だった。思わず足を上げてよけた。
 空襲警報を聞いたのは床に就く直前だった。両親、幼い弟3人と家を飛び出した。「渦巻く炎の中を逃げまどった末、家から100メートルほどの場所に偶然、納豆工場を見つけた。石室で朝を待った。幸運に命を救われた」

◆ビデオ非公開の都方針に不満

 親族を頼り、疎開した。現在のあきる野市や青梅市で暮らした。4月16日から日記を始めた。当時の生活が克明に記されている。
 14歳、多摩地方の飛行場への勤労動員に駆りだされた。「格納庫で、びょう打ちをやった」と書いてある。
 「6~7月には空襲警報が朝や昼の食事の時間など1日3回ぐらいある」
 「工場に行っても仕事がない日があった。時間が長くて仕方なかった」
 日記からは戦局の悪化する様子が分かる。
 「山中に金属のひも状のものがばらまかれている。電波妨害するためにスズをいっぱい山に落としたのではないか」と、米軍機による工作とみられる実態も記録した。
 8月15日の終戦から6日後の21日は「緑色の山に光る金属を見た」と記した。「憎らしい、憎らしい。やっつけたい」という言葉が添えられている。
 甚野さんは、日記などに基づく自身の証言を聞き直すたびに「当時は、そんなふうに思っていたのか」と、教育の影響の大きさを実感する。
 「いろいろなことがあったから証言を残したいと思った。後世のためにも大事でしょう」。それを非公開とする都の態度が不満だ。「連絡は何もありません」(井上靖史)

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