<東京大空襲 体験者の証言>砲弾や不発弾…恐怖と隣り合わせの子ども時代 「もう終わりかも」と貴重な砂糖をぺろり

2021年9月25日 06時00分
<連載>封印されたビデオ⑤岡本邦夫さん(86)

岡本さんの戦時下の体験を収録した東京都の証言ビデオ画面

 「ここまで覚えているかって思うね」
 東京都豊島区の理容業岡本邦夫さん(86)は、改めて20年以上前に撮影された自らのビデオを見て語った。
 「当時はまだ60歳ぐらい。記憶が鮮明だった」
 都の依頼に応じ、1945年4月13、14日の城北大空襲について語った。池袋駅から西へ1キロほどの家は奇跡的に焼け残ったが周辺の住宅街が焦土と化した。「板橋に高射砲陣地があり、当たらずに破裂した砲弾の破片を拾いに行った。子どもだから怖さもあったけれど興味もあった」
 不発弾を見つけたときのことも語った。
 「70センチぐらいの筒がたくさん束ねられていた。中にはゴムのりみたいにドロドロとした接着剤みたいなのが入っていた」
 夏になると空からビラが降ってきた。「『日本は早く戦争をやめなさい』と書いてあった。3~4枚拾って交番に届けた」
 疎開はしなかった。埼玉県内に母親の実家があったが、「来ても食べさせる米がない」などと言われたからだ。疎開しなかったから、戦時下の首都の姿を目に焼き付けた。「空でシラミくらいにしか見えなかったB29が低空を飛ぶようになると、魚のキスぐらいの大きさになった」

東京都が収録し本人用に渡されたビデオテープを手にする岡本さん=東京都豊島区で

◆子どもたちにあんな体験させたくない

 とにかく食べ物はなく、生活は苦しかった。
 「貴重な砂糖は使わず、空襲で防空壕ぼうくうごうに身を隠すたび、もう終わりかもしれないからみんなでなめようと、少しずつ指に付けてぺろりとなめていた」
 学校では毎日のように先生に殴られた。「級友が何か悪いことをすると、連帯責任だといわれてほおをたたかれた。吹き飛ばされるくらい、毎日毎日たたかれた」
 子どもたちに、自分のような体験をさせたくないという思いで、ビデオ撮影に応じたのに、公開されないことに憤りを感じている。
 「本当に起きたこと。知らせなければいけない。今の政治が何かを隠そうとしているのだろうか」(井上靖史)

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