のぼりくだりの街(1)九段坂(千代田区) 響き合う 月と玉ねぎ

2021年9月25日 07時10分

九段坂。後方は靖国神社の鳥居

 西洋文明の源となった古代都市ローマが七つの丘から生まれたように、江戸・東京の都市文化も七つの台地が育んだ。北から順に上野、本郷、豊島、淀橋、目黒、荏原(えばら)、久(く)が原(はら)台(分類は「凹凸を楽しむ 東京『スリバチ』地形散歩」から)。ここには無数の坂道がある。気の向くままに上り下ってみよう。景色の変化とともに歴史の地層が顔を出し、身近な街は冒険の場所へと変わるはずだ。
 (毎月第3を除く土曜日に掲載します)
 待ち人来らず。ロックバンド・爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」は、日本武道館のライブに誘ったペンフレンドに会えない切なさをつづった一九八〇年代のバラードソング。「玉ねぎ」とは武道館の屋根に載る擬宝珠(ぎぼし)のこと。歌の主人公は、まだ見ぬペンフレに恋い焦がれる気持ちを武道館へ向かう九段坂から見えた、たそがれに輝く「玉ねぎ」に重ねた。
 歌のように、九段下の駅から続く坂道を人を追い越しながら上ってみた。最初の信号の手前を左に曲がるとさらに上り道が続き、武道館がある北の丸公園の入り口「田安門」に出た。

<リアルな広重>歌川広重「飯田町九段坂之図」。左上に見える江戸城田安門と坂の頂上が同じ高さで描かれている=国立国会図書館デジタルコレクションより

 一帯は観月の名所だった。明治時代に発行された「新撰(しんせん)東京名所図会」は、旧暦の七月二十六日「ここに月の昇るを待つもの多し」と紹介する。月の中に阿弥陀、観音、勢至(せいし)の三尊が現れる日、大勢で飲食をしながら月を拝む「二十六夜待ち」は江戸の高台で盛んに行われたイベントだった。
 「ここらは、もともと行楽地だったんですよ」。NPO法人神田学会理事の小藤田正夫さん(69)が教えてくれた。九段下の千代田区役所でまちづくりを担当した元職員。九段坂の歴史に詳しい。

<強調の北斎>葛飾北斎「九段牛ケ淵」。急傾斜を強調した1枚=国立文化財機構所蔵品統合検索システムより

 江戸時代後期の地誌「江戸名所図会」には、台地から下る三本の坂道が描かれている。手前から九段坂、中坂、冬青木(もちのき)坂。通行人でにぎわうのは中坂の方。昔の九段坂は寂しい道だった。坂の脇にある堀の名前は「牛ケ淵」という。牛車が落ちたという伝承に由来する。
 この急坂を多くの人が上るようになった。一八六九(明治二)年、戊辰戦争の官軍戦死者を弔う東京招魂社が建立された。靖国神社の前身だが、当時は今ほど厳粛な雰囲気ではなかったようだ。
 競馬や曲馬などのイベントも行われ、飲食店が並んだ。小藤田さんは「官軍主導の神社整備に複雑な思いを抱く、下町の江戸っ子の足を坂上に向けさせたかったのでは」と、明治時代に巨大エンタメ空間が誕生した背景を推測する。
 関東大震災後の復興事業で九段坂は幹線道路につくりかえられた。坂の頂上をずらしてなだらかにし、堀沿いの低い場所を走っていた路面電車の軌道は道路中央部に移した。今は堀の土手もゆるやかだ。

改修中の九段坂。坂上は7メートルほど掘り下げられた。撮影されたのは1926年9月11日=小藤田正夫さん所蔵「帝都復興記念帖」(1930年、復興局発行)から

 この場所について「大きな玉ねぎの下で」の歌詞を書いたサンプラザ中野くん(61)は二〇〇九年九月、本紙朝刊「わが街わが友」で秘話を明かした。歌詞では、ライブの後に主人公が涙しながら堀の水面に映る月を見つめるのだが、中野さんは堀の名前が「牛ケ淵」であることを知らなかった。「牛じゃバラードにならない」。途方に暮れた後、九段坂側から見てすぐ右側の堀が「千鳥ケ淵」だと知り、安心した。主人公は千鳥ケ淵側にたたずんで水面を見つめた設定にした。
 名曲が生まれた舞台に、立ってみた。二度目の東京五輪の準備で磨き直された「玉ねぎ」がまぶしく光っていた。無観客の大会となり寂しいお披露目となったけれど、コロナ禍が終われば、また、たくさんの誰かが待ち合わせの目印にするのだろう。

◆上れば… 日本武道館

 設計は日本のモダニズム建築の巨匠、山田守(1894〜1966年)。反り返った屋根は富士山をイメージしている。こけら落としは1964年10月東京五輪で、柔道の競技会場になった。66年、ビートルズの来日公演で初めてロックコンサートの会場となり、78年のチープ・トリックの演奏を収録した「at武道館」のヒットで「ブドーカン」の名前は、世界の音楽ファンに広まった。

◆下れば… 九段会館

 洋館に瓦屋根が載る「帝冠様式」の代表建築。1934年、在郷軍人らの寄付を基に完成。当時は「軍人会館」といった。36年の二・二六事件で戒厳司令部が置かれ、反乱兵に投降を呼びかけるラジオ放送「兵に告ぐ」がここから流された。戦後は結婚式場などに使われる。東日本大震災で被災し、建物を部分保存しながら高層ビルを建築する改築工事が来年完成を目標に進められている。

◆名前の由来は

 古くは飯田坂と呼ばれていた。名前の由来は、坂に沿って御用屋敷の長屋が九つの段に沿ってたっていたためとも、急坂であったため九つの段が築かれていたからともいわれている。
文・浅田晃弘/写真・内山田正夫、市川和宏
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