原爆ドーム描き、守る 秩父・恩田トシオさん アクリル画制作を20年以上続ける 被爆者の言葉が創作の支えに

2021年9月28日 07時11分

昨年の日本の自然を描く展で入選した「夕刻2020」を手にする恩田さん=いずれも秩父市で

 秩父市の恩田トシオさん(43)は、原爆ドームを20年以上にわたって描き続けている。1996年のドームの世界遺産登録から25年となるのを機に、今夏には広島市で作品展も開かれた。「被爆者の数が減っていく中、平和への思いを自分なりに込めていきたい」と話す。(久間木聡)
 「建物の中に吸い込まれていきそうな衝撃を受けた」。九五年十月、小鹿野高校二年の時に修学旅行で初めて訪れた広島で原爆ドームを目の当たりにした時のことを、恩田さんはそう振り返る。「テレビなどで見るのとは全然印象が違った」
 本格的にドームのアクリル画を描き始めたのは、高校卒業後の九八年から。下描きはせず、湧き上がったイメージを膨らませるように仕上げていく。「カーブと直線のバランスに気を使います」。完成には二カ月ほどかかるといい、日中、夕刻、夜とさまざまな情景の中で、季節の移ろいとともに浮かび上がる姿は独特の余韻を残す。二〇〇一年からは東京・上野の森美術館主催の公募展「日本の自然を描く展」へも応募を続け、入選を重ねている。
 恩田さんと広島をつなぐ上で、かけがえのない出会いがあった。背中のケロイドを見せながら原爆の恐ろしさを訴えて「原爆一号」と呼ばれ、ドームの保存運動や被爆者支援などに尽力した広島市の故吉川(きっかわ)清さんの妻で、自身も被爆した生美(いきみ)さんだ。

夕暮れの中でたたずむ原爆ドーム

 修学旅行の後、恩田さんはドームの模型を作ろうと思い立ち、高校の後輩とともに広島を再訪。その際に出会った生美さんは自身の体験を語ったほか、恩田さんの絵の資質を見抜き、絵を描くことを勧めてくれた。
 また、作品がある程度たまると絵はがきとして販売することも持ち掛けるなど、脳性まひと診断され、言語や聴覚に障害がある恩田さんを親身になって支援。交流は生美さんが亡くなる一三年まで続いた。この間、生美さんが恩田さん宅を訪ね、地元の人たちに体験を語ったこともあったという。
 今夏の広島市での作品展では、絵画のほかこれまで撮影したドームの写真など三十二点を出品した。日々の創作を支えるのは、生美さんが生前言っていた「原爆ドームを守ってほしい」というひと言。「ドームを守るために、自分なりにできることを少しでも続けていく」。そう心に刻んで、キャンバスに向かう。

画面上には現在のドームと白い鳥が、画面下には原爆投下前のドームと爆撃機が描かれている


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