自然通じ社会を写す 個展「イマドキの野生動物」を開催 宮崎学さん(写真家)

2021年10月2日 13時28分
 物珍しそうにカメラを握るクマ。タヌキの屍(しかばね)に体をこすりつけるハクビシン。墓の供え物を荒らすサル。素顔の動物たちは、何を伝えているのだろうか。半世紀にわたり、長野県の伊那谷を拠点に日本中の自然を観察し「自然界の報道写真家」を名乗る宮崎学さん(72)。東京都写真美術館(東京・恵比寿)で開催中の個展「イマドキの野生動物」は、自然と野生動物の姿を通して、現代社会に潜む課題を浮き彫りにしている。
 九月の晴れた日、伊那谷の森での撮影に同行した。撮影といっても宮崎さんの場合、カメラを持ってじっと動物を待ち構えるわけではない。あらかじめ森の中に置いた無人のロボットカメラが、赤外線センサーによる自動シャッターで動物を感知し、自動的に撮影してくれる。
 木がうっそうと茂る、舗装されていない道に車が入っていく。クルミの木の下で止め、設置してあったカメラを手際良くチェックする宮崎さん。すぐ近くで、草がなぎ倒されていた。「クマが寝そべった跡ですよ。動物の写真って、ここに気がつくかどうかなんです」。ファインダーをのぞき込むと宮崎さんの言った通り、目の前に黒いクマの影が映っていた。
 しかし、なぜ自動撮影なのか。目の前の対象に対峙(たいじ)することこそ、自然写真の醍醐味(だいごみ)だと思っていたが−。疑問をぶつけてみた。
 「野生動物を撮ってやろうと思うほど、“殺気”というのが出る。自然界ではこれが邪魔になるんです」。精神を集中させて待ち構えていると、それを感じ取るのだろうか、動物は姿を見せないのだという。「だったら殺気を消すしかないなと」。アイヌ民族が狩猟で用いていたわなを参考に、約四年かけて編み出したのが自動撮影だった。以来、カメラは既製品を自ら改造して使っている。
 長野県上伊那郡中川村生まれ。子どもの頃から遊び場も学び場も、学校ではなく山や川。中学卒業後、地元のカメラレンズ組立工場に就職したのを機に、カメラの面白さを知った。入社三カ月後には自前の機材を購入し、地元・伊那谷で動物を追いかける写真家生活が始まる。その中には当時は撮影が至難とされていたニホンカモシカもいた。
 自動撮影を最初に取り入れたのは一九七五年。自然そのものが教科書だったというだけに、ふんや尿のにおいから、動物が通る「けもの道」は頭に入っていた。道端にロボットカメラを設置してみると、そこで見えたのは跳び上がったヒメネズミや考え事をしているようなテン…。狙ってもなかなか撮影できない野生動物の姿を捉えていた。

「ツキノワグマのカメラマン」

 自動撮影は時として、自然界の摂理も容赦なく突きつける。シカやタヌキの死骸が、数カ月かけて土に還(かえ)っていく様子を映し出した「死」のシリーズでは、仏教の「九相図」を動物の姿に託した。「自然には誕生の数だけ死がある。人間もいずれは大地に還っていくんですから」。生肉を求めてやって来た動物。死体にわくウジムシ。現代社会が意識的に遠ざけてきた自然の一側面があった。
 「おまえの写真には毒がある」。宮崎さんはかつて、作家・辺見庸さんにそう言われたことがあるという。「うれしかったですね。毒がなければ、薬にはならんから。どんな薬にも毒があるでしょう」。自然の本質に迫ってきたからこそ人にとって「毒」に映る。
 「人間は社会と自然は別ものと思っているけれど、そろそろ大きな忘れ物をしているのに気づかないといけない。地球が大家さんだとしたら、われわれ人間だってシカだって、クマだって店子(たなこ)です」。大きな忘れ物−。森の中で、宮崎さんの言葉が一瞬、こだました気がした。
 ◇ 
 展覧会「イマドキの野生動物」は東京都写真美術館で三十一日まで開催。(宮崎正嗣)
 

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