【詳報・第2回】久保木被告の3人中毒死事件 泡立つ点滴「もう半分くらい体に…」看護師が泣き出した

2021年10月4日 15時56分

久保木愛弓被告

 横浜市の旧大口病院(現横浜はじめ病院・休診中)で2016年に起きた点滴連続中毒死事件で、入院患者3人の点滴に消毒液を混入し、殺害した罪などに問われた元看護師久保木愛弓被告(34)の裁判員裁判の第2回公判が4日、横浜地裁(家令和典裁判長)で開かれる。2番目に殺害されたとされる西川惣蔵さん=当時(88)=、3番目に殺害されたとされる八巻信雄さん=同(88)=の事件などが審理される。裁判の模様を速報する。

旧大口病院の点滴連続中毒死事件 起訴状によると、久保木被告は2016年9月15~19日ごろ、いずれも入院患者の興津朝江さん=当時(78)=と西川惣蔵さん=同(88)、八巻信雄さん=同(88)=の点滴に消毒液を混入して同16~20日ごろに殺害し、さらに殺害目的で同18~19日ごろ、点滴袋5個に消毒液を入れたとされる。

久保木被告が出廷

 午前9時56分ごろ、久保木被告が出廷した。初公判と同じグレーのスーツに髪の毛を後ろに一つにまとめ、細縁のめがね姿。手にはハンカチを握っている。女性弁護士と男性弁護士にそれぞれ話かけられ、うなずいていた。

88歳男性が死亡「えーっと思った」


西川惣蔵さん


 裁判が開廷した。2016年9月18日に起きた西川惣蔵さん=当時(88)の事件の際、夜勤を務めた准看護師の供述調書を検察官が読み上げた。
 
 私は大口病院の3病棟に准看護師として勤務していました。2016年9月18日の勤務状況について話します。その日は夜勤担当で出勤はタイムカードによれば午後2時54分。夜勤は午後4時半からですが、3時にはいつも出勤していました。一緒の担当は久保木さんでした。
 日勤は3人。私はいつものようにコーヒーを飲みました。401の患者が亡くなったと聞き、402の西川さんの容態が良くないと申し送りを日勤の看護師からききました。担当の准看護師に聞くと「元気よ。起きようとしてベッドの柵をはずした」と言っていました。
 喫煙所に行く前に402により、西川さんに「大丈夫?」と聞くと西川さんは目を見てうなずきました。容態が良くない人は目を合わせようとせず苦しそうなので、大丈夫だろうと確認しました。私はその後、ナースステーションに行き、内服薬を準備する作業をしました。18時に点滴は既にワゴンに準備されていました。薬を混ぜる作業を日勤の人がしてくれたこともあるので、日勤の看護師に「ありがとうございます」と伝え、看護師は「いいえ」と話しました。看護師がやってくれていたのだと思いました。
 午後4時過ぎから401号の患者の出棺をしたとおもいますが、覚えていません。私と久保木さんは行かなかったはずなので、ナースステーションにいたと思います。
 久保木さんが夜勤の前半だったので、402、405、410号室を担当。私が406、408号室を担当しました。出勤してから久保木さんと話して決めたと思います。
 申し送りは久保木さんからで、終わった後に私が申し送りを受けました。その時久保木さんはラウンドを始めていたと思います。久保木さんがワゴンを押しながら、402号室から405号室に歩くのを見たからです。402号室から出たのを見たわけではないですが、401号室の患者はなくなっていたので、402号室の西川さんの所に行く以外にそこに行く理由がないと思ったからです。
 午後5時ごろにナースステーションのアラームが鳴りました。ステーションには4人いて、久保木さんはいなかったと思います。アラームを確認すると西川さんのもので、今回は大丈夫だと思っていたので「えー」と思いました。日勤の准看護師と看護師が部屋へ行き、私も行こうとしましたが「いいよ。日勤でやる」と日勤の看護師に言われました。
 西川さんの家族への対応は日勤でやることになりました。午後8時ごろには日勤は帰宅しました。午後8時40分ごろに葬儀屋が到着し、私と久保木さんで出棺のお見送りをすることになりました。西川さんの娘さんがいたと思います。久保木さんと出棺の見送りをしたのは2、3回ありました。家族から「亡くなるときはどうでしたか」と聞かれ、久保木さんが答えないので「眠るように亡くなりました」と答えたことがありましたが、この時だったかは分かりません。

主治医「殺害されたと思わず」

 続いて、西川さんの主治医の調書が読み上げられた。
 私は内科医として勤務し、西川さんの主治医でした。横浜市病院から、2016年9月13日、大口病院の4階3病棟に転院しました。8月に転倒して搬送され、入院していたが、食事が経口摂取できなくなり、当院に転院しました。家族は点滴の栄養管理による終末期医療を希望していました。
 西川さんは、反復誤嚥性肺炎や肺気腫、末期的腎不全などがありました。治療困難で、軽減する対処療法しかなく「すでに危篤状態」と家族には説明し、急変時には無理な延命はしないとも説明しました。西川さんは別の病院で心臓付近の静脈から点滴薬を投与していたので、そのカテーテルを当院でも使用することにしました。
 11時すぎから点滴投与を始め、15時ごろには低血糖から元気を取り戻した。15時半ごろに大声を出したり、その夜間には、動き回ったり、騒いだりするような状態になったが、14日朝に診察すると38度台の熱でぐったりしていた。もともとの肺炎が悪化して重症肺炎になっていると判断した。
 15日朝に診察すると呼吸状態が悪く、心不全が悪化していた。16日には西川さんの状態はさらに悪化した。血液検査をすると、酸素飽和度などがすべての数値が入院時から悪化していた。肝臓、腎臓、心不全などが悪化していた。
 15日に家族に連絡して、16日にはお見舞いにきた。西川さんの様子を「肺炎が悪化し、腎不全など多臓器不全だ。あしたからの週末がやまかもしれない」と伝えた。急変時に無理な延命治療をしないことも確認した。
 17~19日の3日は私は休日で、西川さんは酸素投与と対処療法をすると決めたが、劇的な改善が見込めなかった。「連休中に急変するかもしれない」と思いながら休みに入った。
 連休明けの20日午前8時半に出勤すると、3病棟のワタナベ看護師からPHSに連絡があり、「週末に西川そうぞうさんが亡くなりました」と伝えられた。当直医師は死亡確認をするだけなので、死亡診断書は主治医が作成する。
 西川さんは18日午後5時に心肺停止し、午後7時に家族と死亡を確認した。西川さんが殺害されたとは思わなかった。入院から容体が徐々に悪化していた。容体が変化して亡くなったことに、不信感を持たなかった。死因は重症肺炎としました。
▶次ページ 看護師「泡が立ち、穴があった…誰かが何かを混入した」
前のページ

関連キーワード


おすすめ情報

社会の新着

記事一覧