次世代へ「東京2020」

2021年10月5日 07時46分
 今夏、東京五輪・パラリンピックが開催された。新型コロナ感染拡大で原則無観客となった両大会は、社会のありようについてさまざまな議論を呼んだ。この議論を今後どう生かしていくか。

<東京2020オリンピック・パラリンピック> 新型コロナの世界的流行で1年延期となり、オリンピックは7月23日開幕。実質19日間で339種目が行われ205の国と地域、および難民選手団から約1万1000人が参加。パラリンピックは8月24日から9月5日までに539種目が行われ、162の国などから約4400人が参加した。

◆選手の自覚、促す機に 筑波大教授、ソウル五輪メダリスト・山口香さん

 東京大会では宿題をたくさんもらったと感じています。一番は、スポーツの社会的意義が問われたことでしょう。
 スポーツは世界中の人たちが同じルールの下で競い、楽しむことができる地球文化といわれてきました。しかし、みんながスポーツを好きなわけではありません。
 特にコロナ禍の中の今回は「いや応なく巻き込まれている」と感じる人が今までになく多かった。それなのに、国家イベントとして多額の税金が投入されました。結果、「いいかげんにしろよ」という思いを選手たちに直接ぶつける人も出てきてしまった。
 かつての私も含めてスポーツ選手は「みんなが無条件で応援してくれるものだ」というふうにスポイル(甘やかして駄目にすること)されてきたところがあります。一方で、何かあると「やっぱりスポーツをやっているのは、ばかしかいない」と言われがちなのに。
 今回は選手たちも、自分たちを好きな人もいれば嫌う人もいる、表も裏もあるという社会そのものに向き合うことになりました。つらい思いをした選手も多かったのですが、こういう中で自分たちが何を発信し、どう行動すべきか、どんな形でスポーツの発展に寄与していくかを考えることになった点は、本当に良かったと思います。
 その体験は、スポーツを好きな人だけしか周りにおらず、外からの批判を受け付けない「スポーツ村」ではもういられないという現実の認識につながる可能性があります。スポーツの世界こそ多様性が必要なのです。
 それは五輪とパラリンピックの改革という宿題にもつながります。私は健常者と障害者の二つの大会に分けるのではなく、一つの大会にすべきだと思います。同じ日に五輪の種目とパラの種目をすればいいのでは。
 さらに言えば、単にスポーツだけをやるものではなくする。今までの五輪・パラリンピックは打ち上げ花火のようなもので、そのときは感動するけれど、終われば忘れてしまう。スポーツの社会的影響力を発揮するために、選手たちが開催地の若者と、格差や差別、環境など社会的な課題について討論するような文化的プログラムをしてはどうでしょうか。そのような取り組みが新たなレガシー(遺産)になっていくと思います。 (聞き手・大森雅弥)

<やまぐち・かおり> 1964年、東京都生まれ。女子柔道選手として活躍し、84年の世界選手権で金メダル、88年のソウル五輪で銅メダル。今年6月まで日本オリンピック委員会(JOC)理事。

◆平和の基礎を築けず 一橋大教授・坂上康博さん

 東京五輪・パラリンピックはコロナ禍で多くの生命が危険にさらされている中で開催されました。「人間の尊厳」に重きを置くという五輪の理念に照らせば、あり得ないことです。なぜあのような状況下で開催したのか。第三者委員会を立ち上げて検証すべきです。
 政治家の関与は、五輪の理念を大きくゆがめました。大会の一年延期を決めたのは、昨年三月の安倍晋三首相(当時)と、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の電話協議でした。開催主体である日本オリンピック委員会(JOC)は、その席から排除されました。
 政治家主導になれば、政治的思惑が介在します。五輪は安倍政権の政策に組み込まれ、二〇一六年に閣議決定された「日本再興戦略」では、スポーツが成長産業と位置付けられました。五輪は道具として利用され、政治そのものになりました。
 五輪と政治は別のもの。それは戦前から貫かれてきました。初めて破られたのは、一九八〇年のモスクワ五輪ボイコットです。それを機に、JOCは政治からの自立を目指しました。ところが、再び政治が五輪に介入した。スポーツが政治に従属する度合いは、戦前戦後を通じて今が最悪だと思います。
 大会前には八割の人が中止または再延期を求めていました。特に開催都市の東京で反発が強かった。根底にあったのは、感染拡大で命を落とすかもしれないという危機感です。不満の矛先は選手たちにも向きました。本当なら祝福されるべきなのに誹謗(ひぼう)中傷の標的になる。選手の中には、代表に選ばれたことを隠す人もいました。強行開催は選手たちも傷つけました。
 五輪は平和の基礎をつくるためのものです。国境を超えた生身の交流で友達をつくる。友達がいる国にミサイルは撃ち込めません。しかし、コロナ禍での開催となり、その根幹部分が機能しなかった。選手、観客、ボランティア、ホストタウンの人たちの草の根の国際交流が大きく制限されたからです。
 五輪は「平和運動」として再構築すべきです。そうでなければ、魂の抜けた巨大な運動会です。五輪には、人類の未来の在り方を示す力があります。従来の「インターナショナリズム」から歩を進め、国家の枠組みを超えた「トランスナショナリズム」に向かってほしいと思います。 (聞き手・越智俊至)

<さかうえ・やすひろ> 1959年、大阪府生まれ。専門はスポーツ史、スポーツ社会学。著書に『12の問いから始めるオリンピック・パラリンピック研究』(編著)『スポーツと政治』など。

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