のぼりくだりの街(3)目黒区の富士見坂 今も昔も富士山信仰

2021年10月9日 07時11分

目黒区の別所坂児童遊園から富士山がある西方向を望む

 渋谷、恵比寿、目黒といった都心方面から目黒川へ、西に向かう急な下り坂がいくつもある。目黒駅のそばには国土交通省が「東京富士見坂」の一つに選んだ坂もあり、運がよければビルの谷間から富士山が見える。江戸時代の目黒は、田畑や林が広がる農村。市街地から近い富士見の名所として人気があり、しばしば浮世絵にも描かれた。落語の「目黒のさんま」は、なんとなくのどかで楽しいイメージから生まれた話であろう。
 そんな富士を望む高台に、江戸後期、「元富士」と「新富士」ができた。富士山は信仰の対象だった。信者の集まりである富士講は八百八講といわれるほどたくさんあり、団体で登拝した。実際に富士に行かなくても御利益を得られるという触れ込みで、講の町人たちが総掛かりで富士を模した小山「富士塚」を築いたのだ。

広重「名所江戸百景」に描かれた目黒新富士。本物の富士山を遠望する=国立国会図書館デジタルコレクションより

 元富士は、中目黒駅と代官山駅の間、目切坂上にあり、昭和初期に東横線が建設されたころ跡形もなくなってしまった。
 恵比寿駅に近い別所坂上に築かれた新富士は、戦後まで残り、跡地で一九九一年、発掘調査が行われた。
 担当した元目黒区学芸員の横山昭一さんが振り返る。
 「遺跡の中で穴倉のようなものが見つかったのです。のぞいてみると六メートルほどの奥行きがあり、突き当たりにほこらがありました」

別所坂を上ったところに立てられた「新富士と新富士遺跡」の案内板(左)

 土に埋もれたほこらを掘っていくと、床面が現れ、床下に石造の大日如来像が埋められていた。外界から隔絶された祈りの場のようだ。驚いた横山さんは、技術者に依頼して、文字や記号が彫られた横穴を精密に撮影し、樹脂による型どりを行った。「当時としてはできる限りのことをした。目黒には博物館構想があり、展示の目玉になるのでは、とも思いました」
 富士山ろくには、溶岩地形である洞穴がいくつもある。これを母の産道(胎内洞穴)に見立て、参拝者が登山前にくぐって生まれ変わったことにする。それを模したのが新富士の洞穴らしい。都内初の発見だった。そしてさまざまな傍証から、隠れキリシタンとの関連もあるのでは、と横山さんはみている。
 新富士の立つ場所は、下を流れる目黒川とは二十メートルの標高差がある。そこから十五メートル盛り上がった頂上に登れば、眺望は最高だ。
 景色の評判は、もう一つのエピソードにつながる。新富士が築かれたのは、北方領土の択捉島探検で名高い幕臣・近藤重蔵の別邸だった。押し寄せる見物客目当てに茶店を開いた町人と、境界争いや利権争いが生じ、重蔵の子の富蔵が町人一家七人を斬り殺してしまったのだ。豊かな学識がありながら血の気の多い親子だったようで、重蔵は近江・大溝藩にお預けとなり、富蔵は八丈島に流罪となった。富蔵はそこで「八丈実記」という書物を著し、後世「民俗学の草分け」との評価を得た。
 地形も人生も、山あり谷ありである。

◆上れば 本格派コーヒーの香り

 坂の上は先端を追う街。街歩きの息抜きにぴったりのコーヒーも本格派がそろう。恵比寿には「猿田彦珈琲(コーヒー)」本店がある。ここを本拠に、スペシャルティコーヒーの新たなブランドを築いた。目黒駅近くにはスターバックスコーヒージャパン本社があり、1階は「スターバックスリザーブ」という特別な店だ。希少な豆が多く置かれ、好みのいれ方でコーヒーを味わえる。

◆下れば 隠れキリシタン!?

 新富士跡地から目黒川をはさんだ対岸に「めぐろ歴史資料館」がある。廃校となった中学校をそのまま利用している。常設展示では、新富士の胎内洞穴が再現され、大日如来像=写真=を間近で見ることができる。冠の正面の飾りを十字架に見立て「隠れキリシタンの象徴」とみる説もある。16日からは特別展「中世武士目黒氏の軌跡」が開かれる。入館無料。
 文・吉田薫/写真・池田まみ、吉田薫
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