<月刊・掌編小説>ウルトラマンを一緒に観よう 太田忠司 作

2021年10月12日 09時23分

小河奈緒子 画

 インターフォンが鳴りつづけている。無遠慮で一方的な音が止まらない。耳を殴られるようだ。麻美は我慢できず、包丁を置いて玄関に向かった。
 ドアを少しだけ開ける。外にいるのが誰か確認しなかった自分の迂闊(うかつ)さに後から気付いたが、もう遅い。
 隙間から覗(のぞ)いたのは、金色の髪だった。
「あ、瀬田です。隣の二〇四号の」
 金髪頭の男が言った。
「先週引っ越してきました」
「ああ、はい」
 一週間くらい前に隣室が引っ越しで騒がしかったのは知っている。
「はじめまして。瀬田です」
 男は繰り返した。
「引っ越しの挨拶をしてなかったので」
「あ、そうですか。どうも」
 今どき引っ越しの挨拶なんてものをする人間がいるのか。しかも一週間も経(た)ってから。
 男と眼が合った。虹彩の色が薄い。カラコンでもしているのか。その眼が、じっとこちらを見ている。怖くなった。
「あの……じゃあ」
 ドアを閉めようとする。が、それより早く瀬田がドアの隙間から手を差し出した。
「これ、引き出物です」
 その手が掴(つか)んでいたのは「ぬれおかき」と書かれたパッケージだった。
   ◇
「いや、引き出物じゃないか。なんて言うんでしたっけ? 引っ越しの挨拶のときに持っていくもの」
「さあ」
 特に名前はないのではないかと思ったが、口には出さなかった。コンビニでも売っている菓子を包装もせず挨拶の品として渡そうとする神経もおかしいが、そのこともあえて言わなかった。ただ、早くドアを閉めてしまいたかった。
「ありがとうございます」
 ぬれおかきを受け取り、手が引っ込んだのを見計らって再びドアを閉めかけた。
「あ、あの」
 瀬田がそれを押しとどめるように、言った。
「お子さん、いるんですよね? 男の子」
「え? ……ああ、はい」
「元気ですよね。いつも大声を出して遊んでる」
「うるさかった、ですか」
「いえそんな……いや、ちょっとだけ、騒がしかったかな」
 瀬田が表情を隠すように口許をすぼめる。
「僕ね、夜にバイトしてるんです。朝に帰ってきて。ちょうどその頃が幼稚園に行く時間なのかな。出かけていく音が聞こえるんです。僕はその後、飯を食って風呂に入って寝るんですけど、起きるのが夕方五時くらい。でも、三時くらいには帰ってきますよね。お子さん、なんて名前でしたっけ?」
「え? ああ。湊(みなと)です」
「湊君。帰ってきたらお母さんにいっぱい話しますよね。大きな声で」
「ええ」
「んで、部屋の中を走り回って騒ぐ」
「あの、やっぱりうるさいですか」
「三時頃にそれをやられるとね、眼が覚めちゃうんですよ」
 瀬田は口許を緩める。かろうじて苦笑とわかる表情だ。
「あ、でも、苦情を言いたいんじゃないんです。ただ、ちょっと湊君に話したいことがあって」
「何でしょうか」
 訊(き)いてから後悔した。さっさとドアを閉めてしまうべきだった。
「ウルトラマンです。湊君、ウルトラマンの歌、歌ってましたよね」
「そうでしたっけ」
「ええ。一番最初のウルトラマンの主題歌。どうしてあんな古い歌を知ってるのかなって」
「それは……DVDがありますから」
「誰かのプレゼント?」
「いえ、リサイクルショップの百円コーナーにあったのを買ったんです」
「そうですかあ。なるほど」
 瀬田は大仰に頷(うなず)く。
「僕も持ってたんです。初代ウルトラマンのDVD。おじいちゃんが買ってくれて。いいですよね、あれ。僕、バルタン星人が大好きなんです。湊君は何が好きなんですか」
「さあ……」
「湊君と、そういう話はしないんですか」
「そういうことはあまり……あの、ちょっと忙しいので」
 麻美はドアを閉めようとした。
「痛っ!」
 瀬田が大袈裟(げさ)に叫んだ。彼の靴先がドアに挟まれている。麻美は思わずドアノブを掴んだ手を離した。
「湊君と、話をさせてください」
 顔を顰(しか)めながら、瀬田がドアを開く。
「湊はいません。遊びに行ってます」
「そうですか」
 そう言うなり瀬田は麻美を押し退(の)けた。
 土足のまま廊下に上がる。
「さっきまで聞こえてたんです。ウルトラマンの歌」
   ◇
「待って!」
 奥の部屋に入ろうとする瀬田に麻美は掴みかかろうとする。それを振り払い、瀬田は言った。
「聞こえてたんです。湊君が歌う声と、それを叱るあなたの声。それから」
 瀬田は部屋の前で立ち止まる。
 カーペットの上に子供が横たわっていた。眼を閉じたまま、動かない。
 瀬田は子供に駆け寄り、呼吸を確かめた。
「……よかった」
 安堵(あんど)の声を洩(も)らした。そして、子供の傍(そば)に落ちているものを拾い上げた。
「本当によかった。間に合った」
 彼はスマートフォンを取り出し、一一九に電話した。状況と場所を簡潔に伝えると、立ち上がる。
 麻美はその様子を、ただ黙って見ていた。
「すぐに救急車が来ます。これは、片づけておいてください」
 瀬田は手にした包丁を彼女に差し出す。麻美は震える唇で尋ねた。
「どうして……?」
   ◇
「言ったでしょ。聞こえたんですよ。湊君が歌う声。あなたが怒鳴る声。何かがぶつかる音。そして沈黙。僕は壁の向こうで何が起きているのか想像しました。最悪の想像です。確かめないではいられなかった。どうして、すぐに救急車を呼ばなかったんですか」
 問われた麻美は黙っていた。手にした包丁が震えている。
「怖かったんですね。でも、もう大丈夫。大丈夫だから、あなたにそれを返しました」
 麻美は包丁を見つめた。
「そんなもので自分を刺したら痛いですよ。死ぬより苦しいです」
「……今だって、死ぬより苦しい」
 麻美が嗚咽(おえつ)を洩らす。
「ずっと、ずっと苦しかった。死んだほうがましだって……」
 瀬田がテレビの前に放り出されてあったDVDのパッケージを手に取った。
「湊君、この巻しか観(み)てないんですよね。もったいないです。ウルトラマン、全部観なきゃ。その後ウルトラセブンも帰ってきたウルトラマンもウルトラマンティガもゼロもタイガもゼットも全部観てほしい。で、一緒に話したいです」
 瀬田は横たわる子供の頬を撫(な)でた。
「お母さんも、一緒に観ましょうよ。ね?」
 救急車のサイレンが近付いてくる。麻美はただ、泣きつづけた。
 太田忠司(おおた・ただし) 1959年、名古屋市生まれ。81年、『帰郷』が星新一ショートショート・コンテストで優秀作に選ばれる。90年、ミステリ長編『僕の殺人』で本格デビュー。著作に『月光亭事件』『ミステリなふたり』『名古屋駅西 喫茶ユトリロ』『麻倉玲一は信頼できない語り手』など。

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