<竿と筆 文人と釣り歩く>「荻窪風土記」井伏鱒二

2021年10月16日 06時33分

コンクリート護岸に覆われた善福寺川だが、善福寺川緑地と和田堀公園の周辺は豊かな緑が残る

◆太宰と歩いた善福寺川 清流 今はジョーズも

 「井荻村(杉並区清水)へ引越して来た当時、川南の善福寺川は綺麗(きれい)に澄んだ流れであった。清冽(せいれつ)な感じであった。(略)いつも水量が川幅いっぱいで、昆布のように長っぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨(こうほね)のような丸葉の水草なども生えていた」
 井伏鱒二の自伝「荻窪風土記」に収められた「善福寺川」の冒頭の一節だ。
 井伏が早稲田鶴巻町の下宿を引き払い、荻窪に引っ越したのは一九二七(昭和二)年の夏だった。麦畑の真ん中に一軒家を建て、詩や小説の創作にふけった。
 当時、杉並近辺には文学青年たちが数多く住んでいた。そうした仲間で結成されたのが「阿佐ケ谷将棋会」。会員は、外村繁、古谷綱武、青柳瑞穂、小田嶽夫、亀井勝一郎ら錚々(そうそう)たる顔触れで、まだ東大の学生だった太宰治もいた。彼らや地元の人々との交流を軽妙に味わい深くつづっている。
 井伏といえば、自他共に認める釣り好きだった。随筆家の佐藤垢石(こうせき)にアユ釣りの指南を受けて夢中になり、竿(さお)を担いで伊豆の河津川や茨城県の利根川など全国の川や海を巡り歩いた。
 近所の善福寺川や妙正寺池でフナやハヤを狙うこともよくあった。弟子の太宰を連れて善福寺川に出かけたときの記述もある。近所の釣具屋で安物の竿を二本買い、一本を太宰に渡して、中央線のガード下などの釣り場に向かった。ところがこの頃すでに川の汚染が始まっていたのか、いくら竿を振り込んでも手応えがない。「この川はもうお仕舞(しま)いだ」と見切りをつけて帰って来たという。

杉並区立郷土博物館に展示された、井伏鱒二が愛用していた釣り竿と釣りに関する著書(展示は17日まで)

 太宰は釣りに熱心ではなく、一方で詩や小説の創作には燃えるような意欲を見せていた。会う度に原稿を持参し、「飽きもせず次から次によく書いてきた」と井伏は記述している。
 二人が釣り糸を垂れたポイントに足を運んでみた。
 JR中央線は荻窪駅から少し西で善福寺川と交差する。「ガード下」とはこのあたりだ。現在は三面護岸で川床には粗大ごみが散乱している。ただし善福寺池の湧水を水源としているせいか、水は透明だ。水草が揺れ、カモが遊ぶ風景をよすがにすると、約九十年前に井伏が見た里川の風景を思い描けないこともない。
 それでも竿を出すには無理がある。そこで四キロほど下流にある和田堀公園の釣り堀武蔵野園に向かった。
 武蔵野園は池に桟橋を渡した形式の釣り場で、貸し竿に練り餌でコイやフナが釣れる。近ごろはテラスで食べるオムライスや親子丼がおいしいと評判だ。
 三代目店主の青木大輔さん(54)によると、開園は七十一年前。「子供の頃は、まわりに釣り堀はいくつもあった。たったひとつ残ったのがうちですよ」

ジョーズの模型と対峙(たいじ)しながら釣りを楽しめる和田堀公園の武蔵野園

 さて釣り。映画の撮影で使ったというジョーズの模型の正面に陣取った。
 食うか。食われるか。
 仕掛けを振り込むと、すぐに浮きはぺこぺこと動く。あたりに違いないが、あわせると空振りですでに餌はない。この繰り返しで冷や汗が出てくる。一時間もやって、ようやく一尾のコイを釣り上げてほっとした。
 公園はカワセミなど野鳥の宝庫だ。鳥の声を聞き、風に吹かれて糸を垂れていると、竿を担いだ文豪がひょっこり姿を見せそうな気がする。「竿頭(かんとう)すべからく童心宿すべし」。文豪の口癖であったそうだ。

井伏鱒二が釣りを楽しんだ善福寺川で魚を追うカワセミ。すぐ近くに環八通りやJR中央線が走るが、水は澄んでいた=杉並区南荻窪で

<井伏鱒二> (1898〜1993年) 広島県生まれ。本名、満寿二。一九二九年「山椒魚(さんしょううお)」で脚光を浴び、三八年「ジョン万次郎漂流記」で直木賞を受賞。他に「黒い雨」で野間文芸賞など受賞多数。
 文・坂本充孝/写真・田中健
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