<首都残景>(29)駒沢給水塔 双塔は地域のシンボル

2021年10月17日 07時07分

西日に染まる駒沢給水塔を見上げるコマQの会員たち。住宅に囲まれ近くの地上から双塔の全貌を眺めることができず会員の自宅屋上で撮影=いずれも世田谷区で

 サザエさんの町で有名な世田谷区桜新町。商店街から静かな住宅地を歩くと、まもなく駒沢給水塔が見えてくる。
 初めて見る人は、その威容に圧倒されるに違いない。高さ三十メートル、直径十五メートルもの円筒形のコンクリートの塔が二つ、夕日に照らされて、そびえている。
 塔の最上部は王冠のように装飾され、チェスのルークのようだ。一方で白く輝く半球はイスラムの寺院を連想させる。二つの塔の間は鉄骨の橋が結び、全体の印象といえば、まるでドラキュラの居城のようだ。

マンションの背後に頭を出す給水塔。屋上の装飾球はかつて毎夜点灯され渋谷の道玄坂上からも見えたという。現在は年に数回赤くともる

 「ちょっと不気味なところも冒険心をそそる。僕がまだ子供の頃、テレビだか映画だか、怪人二十面相の撮影をしてました。面白くてずっと眺めていた」
 案内役の建築家で駒沢給水塔風景資産保存会(愛称・コマQ)、澤一郎代表(79)は、子供に戻ったような笑顔で話した。
 駒沢給水塔は、その名のように水道施設だ。完成したのは関東大震災の翌年の一九二四年。当時、渋谷は、ターミナル駅周辺の街として、東京、新宿、品川などに比べて開発が遅れていた。理由は飲み水の不足だった。この問題を解消するため、多摩川の伏流水をポンプで高台にくみ上げ、自然重力で送水するという大工事が計画された。

奥の給水塔から一直線に延びる道路。渋谷方面へ送水する水道管の上に造られた

 総指揮を執ったのは、日本の近代上水道の父とも呼ばれる中島鋭治博士だった。
 欧州で建築を学んだ中島博士は丘の上の給水塔に凝りに凝った意匠を施す。そうして生まれたのが駒沢給水塔だった。ドラキュラの城は、現在の渋谷の繁栄の大本ともいえる。
 それでも老朽化には勝てず、九九年に給水機能は停止された。地元の有志が集まってコマQが結成されたのは、この後だ。
 「廃止され、破壊されてしまった給水塔もありました。でも、この給水塔だけは同じ運命を歩んでほしくはないと思った。なにしろ地域の結び付きのシンボルだったのです」と澤さん。
 コマQの活動は目覚ましかった。東京都水道局に働き掛けて、近くの小学生を集めた構内見学会や塔上の装飾灯の再点灯などを企画した。一方で「双塔」と題した会報や冊子を発行し、賛同者を集めた。「双塔」の発行は七十回を超えた。
 現在、給水塔は災害時に利用する水をためる応急給水所として管理されている。コロナ禍もあり、人を集めるイベントの開催は難しい。それでも十月一日、今年も都民の日に、装飾灯がともり、夜空に輝いた。
文・坂本充孝/写真・戸上航一
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