東大和市民が守った戦災変電所 改修終え、きょうから再び公開

2021年10月20日 07時07分

東大和市の都立東大和南公園にある旧日立航空機株式会社変電所。保存改修工事を終え、一般公開される

 東京都立東大和南公園の一角にたたずむ古びた鉄筋コンクリートの建物。壁一面の無数の穴は、戦時中の米軍機の爆撃でできた。東大和市が文化財に指定している戦災遺跡だ。一時は取り壊しの危機にあったが、市民らの働き掛けや寄付で保存・改修され、二十日、約一年三カ月ぶりに内部の一般公開を再開する。
 変電所は一九三八年に建設され、隣接する軍用機エンジン工場に送電した。九五年の文化財指定に伴う最初の改修から二十年以上がたち、コンクリートの劣化や雨漏りで再び工事が必要に。市は二〇一六年に保存のための基金を設立し、ふるさと納税で返礼品なしの寄付を募集。市内を中心に北海道から九州まで三百十八人から計千三百五十二万円が集まった。これは総工費の約一割に上る。
 「真っ先に寄付しなきゃと思ったの」。市内の小島ヨネさん(93)は一般公開の再開に先立つ十三日の寄付者向け内覧会で、こう話した。十四歳から終戦まで二年余り、工場で製品のやすりがけなどに従事した。たまたま休日で自宅にいた一九四五年二月十七日、工場への最初の空襲があり、仲間が何人も亡くなった。

機銃掃射で穴が開いたままの蓄電池室で説明を受ける内覧会の参加者

 「戦争さえなければ、みんな死なずに済んだのにといつも思うんです。忘れちゃいけない」。今も変電所を見ると、当時をはっきり思い出す。
 変電所一帯は三回空襲に遭い、住民ら百十一人が亡くなった。工場は破壊されたが、変電所は戦後も機能を保ち、農林業機器メーカー「小松ゼノア」の施設として九三年まで稼働した。同社には改修の余裕がなく、弾痕はそのまま残った。

補修された弾痕が残る外壁

 八〇年代に変電所を含む工場跡地の都立公園整備計画が決まると、都は建物の取り壊しを検討。これに対し、市内の女性らが保存運動を始め、当時の尾崎清太郎市長(故人)も九一年の引退後は保存運動をけん引した。運動が実って建物は市が保全管理することが決まり、九四年、小松ゼノアが市に無償譲渡した。
 十三日の内覧会に参加した市民団体「東大和・戦災変電所を保存する会」の副会長、新家(しんか)靖之さん(74)は小松ゼノアの元社員。変電所を市に譲渡した当時の担当課長だった。入社当初は弾痕は気に留めなかったが、保存運動の市民から話を聞くうちに重要さを認識した。「戦争の記憶をつないでいくために、こういう建物が残っていることは大事だ」と力を込めた。
 今回の改修は、穴だらけの壁をそのまま保存するために約一年をかけた。壁が剥げないように、目立たない部分にステンレスのピンを入れ、接着剤を注入して多層のモルタル構造を固定。老朽化した階段にかぶせるようにガラス階段を設置し、配電盤のある二階に上がれるようになった。新家さんは「雰囲気は前と変わらず、きちんと補修されている」と喜んだ。

一般公開される2階。左手前が仮眠室、中央は配電盤

木の階段の上に設置されたガラスの階段。1階には当時の写真などが展示されている

◆西の原爆ドーム、東の変電所

<旧日立航空機変電所> 2階建て延べ約338平方メートル。戦争の傷痕をとどめ「西の原爆ドーム、東の変電所」とも称される。一般公開は毎週水曜、日曜の午前十時半〜午後四時。入場無料、予約不要。市立郷土博物館では、工場の実態を詳しく解明するための資料を集めている。問い合わせは同館=電042(567)4800=へ。
 文・林朋実/写真・戸田泰雅
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