「大谷翔平」という奇跡

2021年10月20日 07時47分
 現実がフィクションを超えたといわれる、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手。今季は投打の二刀流で大活躍し、分業、専門化が進む現代野球の常識を打ち破った。この奇跡をどう受け止めるか。

<大谷翔平(おおたに・しょうへい)> 1994年、岩手県生まれ。2013年に日本ハム入団。投打の「二刀流」で活躍し、16年にはパ・リーグ最優秀選手。18年に入団した米大リーグのエンゼルスでも二刀流でプレー。今季は投手で9勝2敗、打者では打率2割5分7厘、46本塁打、100打点、26盗塁。最優秀選手の最有力になっている。

◆常識超えていく選手 スポーツジャーナリスト・二宮清純さん

 飛び抜けた才能の野球選手を評する時、私たちは「天才」「革命児」「スーパースター」といった冠言葉を使ってきました。でも、大谷はそうした手あかのついた言葉では言い表せない。私たちにとって、まさに「未体験ゾーン」の選手です。
 今季の活躍は、三年前の肘の手術が成功して体に不安がなくなったことが一番大きい。その後のリハビリやトレーニングがうまくいき、見事な逆三角形の肉体を手に入れました。その筋力があのとてつもないスイングを生みました。弓を限界まで引いて矢を放つイメージです。
 それは技術の向上にもつながります。球をぎりぎりまで引き寄せるので、命中する確率が高くなる。打球の方向を見ると、全方向に打っています。左打者が左へ打つと「流す」という表現が使われがちですが、大谷は打球が左に飛んでも引っ張っている。振り切っているのです。
 もう一つは、どんな球が来るかを予測する「読み」の進化ですね。大谷は今季、2ストライクと追い込まれてから本塁打を打つことが目立ちました。不利なはずなのに。これは仮説ですが、「追い込まれてからでも打つ」ではなく、実は「追い込ませてから打つ」ではないのか。メジャーリーグの投手は打者を追い込むと一番得意な球を投げてきます。大谷はそれを待ち伏せしているように思います。
 このように、大谷には今までの概念、常識が通用しません。誰かがつくった道を歩いているのではなく、彼が歩いたところが道になる。まるで獣道。どこへ行き着くか、誰も分からない。
 二刀流は普通に考えれば体にこたえるはず。投打どちらかに絞るのが常識です。しかし、彼のモチベーションやポテンシャルを考えればそれが正しいかどうか。一人で自らの多様性を体現する彼に、一つに絞れとは言えません。こうなれば、二兎(にと)でも三兎でも追えるものは全て追ってくれと。
 英才教育で育ったというより、好きでやっているうちにレベルが高くなり、年々進化・深化している。何よりも痛快なのは、彼の才能を測るモノサシがどこにも存在しないことです。
 私たちは生きる中でいろんなバイアスにとらわれています。その閉塞(へいそく)感を大谷は取り払ってくれました。「無理」「不可能」「非常識」「非現実的」などといった言葉は、もはや禁句ですね。 (聞き手・大森雅弥)

<にのみや・せいじゅん> 1960年、愛媛県生まれ。『最強のプロ野球論』『プロ野球 名人たちの証言』など著書多数。『証言 昭和平成プロ野球』(広済堂新書)が今月発売される。

◆多刀流 偉大なる少年 詩人、作家・平出隆さん

 シーズン初め、本格的な二刀流としての大谷翔平の姿を見た同僚のトラウトは、「ビッグキッド!」と驚喜したそうですね。まるで少年野球、それなのに超一流という意味でしょう。
 「二刀流」の大活躍によって突出してきたのは、「投」「打」の両面だけではありません。ダイアモンドを駆け巡る「走」の主題を全身で表したことです。
 「ベースボール」の名称が初めて使われたのは、十八世紀中葉の英国で出版された、子供の遊びを収録する木版画の本です。見開きに二つの四行詩を配してゲームの規則と寓意(ぐうい)とを説明。ベースボールの規則は、「ボールを打ったら、次の塁へ走り、歓喜と共に生還する」。寓意は、「船乗りが大海原に漕(こ)ぎ出し、財宝を手に帰港する」。
 トラウトはじめメジャーリーガーも私たちも、大谷翔平のプレーの少年性と冒険性から、ゲームの原点に思い至るのでしょう。
 棍棒(こんぼう)で球体を撃ち飛ばし、転がっている間に一周する。この遊戯が近代野球になると、攻撃側は「一撃」と「生還」の快楽を追求し、守備側はその快楽を鎮圧しようとする。攻守交代で進行するプレー水準が最高度に達すると、各選手の役割分担も極まります。いつからか、快楽鎮圧軍の中心である投手は、快楽を追求して走り回る者ではない、と思われていった。
 つまり、大谷翔平の革命は、子供の遊戯の快感が、最高技芸で噴出したことでしょう。そこで私たちは、二刀流に止(とど)まらず、言語を超えて本能の発露した遊戯的コミュニケーションを数多く目にすることになります。敵である野手や審判と塁上で会話し、時に笑い合う光景です。
 死球をめぐる印象的な振る舞いがありました。「投手は絶対に謝るベからず」というアメリカ野球の不文律と、すぐに帽子をとる日本野球の流儀との背反を知る大谷は、同じ打者に危険球と死球を続けたとき、とっさにマウンドで膝をつき慨嘆の仕草を見せました。自分の力不足を示す超言語の表現です。
 打者としての反面もありました。故意らしいデッドボールを食らったとき、出塁して敵の一塁手に笑いながらじゃれつき、ここでも乱闘へ一触即発という空気を吹き払ったのです。
 大谷の存在は、投・打・走・言を超えて広がる多刀流を感じさせる。「ビッグキッド」は偉大な少年の意味になるでしょう。

<ひらいで・たかし> 1950年、福岡県生まれ。詩集『胡桃の戦意のために』、多言語に訳された小説『猫の客』、評伝『伊良子清白』のほか、『ベースボールの詩学』『白球礼讃』などのエッセーも。

◆ヒーロー像に憧れる 奈良大教授、臨床心理士・林郷子さん

 自分の「心の声」を素直にキャッチできる人。大谷翔平選手には、そんな印象があります。世間の声を聞いていないわけではないけれど、自分はどう感じ、何をしたいのか、何ができる可能性があるのかを敏感に察し、行き着いたのが「二刀流」なのではないかと思います。
 心の声は、感覚的なところでしかつかめないことがあります。頭で考えることだけでなく体からのメッセージや、感覚からのメッセージも含まれます。本人は意識化していないかもしれませんが、彼はそれを聞き取っているような気がします。
 成長の過程で人は、周囲の思いや期待を取り入れながら自己イメージをつくっていきます。それは悪いことではないし、ある意味必要なことです。ただ、そちらの方が強くなり過ぎると、本来の自分から乖離(かいり)し、可能性を狭めてしまうこともあります。外側から「おまえの力はこれぐらい」と基準が示され、そのまま自分の基準になってしまうと、それ以上の力は発揮できなくなります。
 先入観や思い込みは、自分では気付きにくいものです。そこで、その人を理解してくれる他者が重要になります。大谷選手の場合、花巻東高や日本ハムの監督さんが気付きのきっかけをくれたのかもしれません。家庭環境の影響も考えられます。もちろん、彼の能力と努力が前提ですが、それらの相互作用で彼は力をストレートに発揮できたのではないかと思います。
 大谷選手は、なぜ多くの人に好かれるのでしょうか。逆に、才能はあるのに嫌われる人のケースから考えてみます。私たちは、自分でも認めたくない嫌な部分を意識下に沈めます。多くの人の中にあるその嫌な部分を言動などで映し出している人は嫌われやすくなります。
 大谷選手には、そういう否定的な部分が見えません。だから多くの人が、自分の持つ前向きなイメージを彼に投映し、憧れの目を向けます。例えるなら、ウルトラマンとか仮面ライダーなどのヒーロー像に近いと言えるかもしれません。
 過大な期待は、負担になることもあります。だけど、大谷選手は、周りの声を大事にしながら、自分の内側から出てくるものも大切にする人です。そのスタンスがしっかりしていれば、周囲の期待に押しつぶされることはないだろうと思います。 (聞き手・越智俊至)

<はやし・きょうこ> 1971年、東京都生まれ。専門は臨床心理学。共著書に『心理療法における「私」との出会い』(創元社)、『常識を疑う心理学』(ナカニシヤ出版)など。

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