双頭の牛が生まれ、住民はガンに…50年前の「ヒロシマ事故」で滅んだソ連の村の真相とは

2021年10月20日 17時00分
 核エネルギー利用の危険性は、核兵器や原発事故を前提に語られてきた。だが原爆で国土開発する実験に失敗し、住民が被ばく、村が滅んだ特異な例もある。ソ連でちょうど50年前に起きた「ヒロシマ事故」の真相を探った。(ロシア西部イワノボ州で、小柳悠志、写真も)

核実験に失敗した「グロブス1」のある森(対岸の奥)。手前はボルガ川=イワノボ州レシュマ村で

 ボルガ川と紅葉した対岸の森の対比が美しい。この森の奥、工業用核実験場グロブス1で1971年9月、「イワノボのヒロシマ」と呼ばれる事故が起きた。
 当時の惨事を、現地メディア「ロシア・ビヨンド」はこう伝える。
 ソ連は65年以降、人工貯水池を造ったり、地下資源を探査したりするために原爆を「人民経済のための核爆発」として、工業利用してきた。ツルハシで土を掘ったり、ダイナマイトで発破を掛けたりするよりも、核爆発の方が手っ取り早いと考えたからだ。
 71年9月、グロブス1では、広島の原爆の6分の1の威力の核爆弾を地下610メートルで爆発させた。ところが想定外にも、放射性物質で汚染された地下水や土砂が地表に20日間にわたって噴出。最大1万平方メートルの土地が汚染された。
 当局は実験場に「立ち入り禁止」の看板を立て、技術者たちは安全な場所に撤退した。

ソ連で核利用の基礎となった1949年完成の原爆「RDS-1」

 ロシア・ビヨンドによれば、好奇心から事故現場の穴に立ち入った少年2人は「みるみる弱って死んだ」と伝える。奇形の家畜も生まれた。核事故の情報は隠され、自家用にと実験場の資材を取りに行った住民も死んだとされる。
 核政策に詳しい元プラウダ紙科学部長、ウラジーミル・グバレフ氏(83)によると、ソ連は鉱物掘削などに絡む「平和的な産業利用」の核爆発を124回も実施。「300年の作業が数年で終わった」と評価している。
 85年に就任したゴルバチョフ書記長は、米国と核軍縮に動き、ソ連の核の工業利用は封印されることになった。

「平和利用の核爆発」について語るウラジーミル・グバレフ氏

◆生存者が証言「ようやく話題にできた」

 「グロブス1」跡地近くのレシュマ村で、ニーナ・ルィービナさん(57)から「ヒロシマ事故」の証言を得た。一問一答は次の通り。
 ―事故の影響は。
 「当時、私は7歳で爆心地から12キロの村に住んでいた。翌年から大きなキノコが生えてきた。事故について政府の説明はなかったが、森への立ち入りやキノコ狩りは禁じられた。年2回、医者が学校に来るようになり、ヨウ素入りの薬が処方された」
 ―奇形の動物が生まれたとの説がある。
 「2年後、双頭の子牛が生まれた。母が勤めていた農場で私も見たので事実だ。事故後はがんで死ぬ人が増えた。若くして死んだ人もいる。私の2人目の子どもは皮膚が黄色くなり、モスクワの特別な病院に連れて行かれた。そこには(核関連施設がある)中部チェリャビンスクの子どもたちも治療に来ていた」

ヒロシマ事故について話すニーナ・ルィービナさん=イワノボ州レシュマ村で

 ―実験場での爆発時は。
 「地震があった。窓が割れるほどではなく、家がゆらゆらする感じ。母によれば、赤いトラックが来て土壌を交換していった。こうした出来事は口外できず、ペレストロイカ(1980年代後半の改革期)が来て、ようやく話題にできるようになった」
 ―原発など核エネルギーの利用に賛成か。
 「太陽光はこの地で十分ではない。石炭も(埋蔵量が)いずれ尽きる。核エネルギーは神様が造ったものだから利用しなければ」

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