のぼりくだりの街(4)旧仙台坂(品川区) 藩士も食した味 脈々

2021年10月23日 06時59分

江戸時代の仙台藩下屋敷に通じる道だった旧仙台坂、別名「くらやみ坂」。右は自動車道の仙台坂トンネル=いずれも品川区で

 東京都心の地名について語る時、江戸時代の大名屋敷は外せない。低地に突き出た台地の上に各藩の江戸屋敷が建てられ、市中と通じる坂道は、いつしか藩の名前で呼ばれるようになった。朝夕の風に秋を感じさせるようになった九月下旬、仙台藩の下屋敷があった品川区東大井を歩いた。
 JR大井町駅から東に向かって約四百メートルほど商店街を歩くと、三本の道路が交わる交差点に出る。角に「仙台味噌(みそ)醸造所」がある。仙台藩江戸下屋敷の一画に位置し、江戸で生活する約三千人の藩士らのために、寛永二(一六二五)年に醸造を始めたみそ蔵にルーツを持つ。以後約四百年間、この地でみそ造りが続いている。明治維新後、藩から醸造所の経営を引き継いだ八木家の四代目、代表社員の八木忠一郎さん(85)に話を聞いた。

巨大なみそだるについて説明する仙台味噌醸造所の八木忠一郎さん

 「もともと仙台でみそとしょうゆの醸造・販売が家業でした。私の父親から東京・品川生まれ。江戸のみそは『江戸甘』と言って、東北出身の藩士には甘すぎたので、下屋敷内に蔵を造ったのだそうです。一部は一般に小売りするようになり、現在に至っています」

主力商品の「五風十雨」。店頭で量り売りされている

 かつてのみそ蔵は五棟あり、高さ約二メートルもある巨大なみそだるが合計三百あったという。国産大豆と適度にニガリを含んだ塩を使い、一年以上熟成させる昔ながらの醸造法だ。看板商品の仙台みそ「五風十雨(ごふうじゅうう)」を買い、自宅で妻にみそ汁を作ってもらった。具はタマネギとミョウガ。コクの深い味わいで、うまかった。

 かつての下屋敷は、武蔵野台地上にあり、ここから東方に下る坂が旧仙台坂だ。途中、下屋敷の裏玄関に植えられていたという樹齢三百年余のタブノキがある。

推定樹齢300年で品川区指定天然記念物にもなっている「仙台坂のタブノキ」

 その昔、東海道側から屋敷に通じる細い坂道は、一九九八年三月、第一京浜(国道15号)から醸造所前に至る区間の中ほどに車道のトンネルが掘られ、当時の面影はみじんもない。今となっては、トンネルの側道とトンネル上の一部区間が旧仙台坂とされ、下屋敷があったことを示す品川区教育委員会の説明板もここに立つ。ちなみに、京急の青物横丁駅方面から醸造所に向かう池上通りが現在では仙台坂と呼ばれている。
 仙台藩が幕府から、この付近に下屋敷地を拝領したのは、二代藩主伊達忠宗(だてただむね)の時で、万治元(一六五八)年のことだ。麻布の仙台坂近くにも別の下屋敷があった。その後、越前鯖江藩の大崎屋敷と土地の一部を交換したため、南半分以上が鯖江藩の屋敷となった。
 「しながわの大名下屋敷」(品川区立品川歴史館編集)によると、品川区内の下屋敷は、標高十五メートル前後の高台という地形から、海を望む別邸の性格を持つ屋敷が多かったという。
 この屋敷に二十一歳から七十二歳で亡くなるまで、外に出ることなく過ごしたのが三代藩主の伊達綱宗(つなむね)だ。「酒色」にふけり、藩の重臣や親戚が注意したが改まらず、幕府に隠居を命じられた。器量に欠ける主君を隠居に追いやり、御家を守ることを武家社会では「主君押し込め」と言うそうだ。

◆江戸にいっぱい「仙台」

 仙台市のホームページなどによると、仙台藩は品川区大井の下屋敷のほか複数の江戸屋敷を所有していた。幕末に近い1841年の時点で6カ所の屋敷があった、という。
 江戸城に近かった、港区東新橋1丁目の日本テレビ本社敷地内には、上屋敷が。江東区清澄1丁目の隅田川沿いには深川蔵屋敷があった。屋敷南側の堀を利用して仙台から送られた米などを江戸に運び入れたことから、仙台堀と呼ばれた。JR御茶ノ水駅周辺の神田川の開削工事を、仙台藩が行ったことから、こちらもかつて仙台堀と呼ばれた。 

◆ペットはシェパード!?

 62万石の石高を誇った仙台藩の品川下屋敷内では、大型の洋犬をペットとして飼っていた。「仙台坂遺跡」の発掘調査の結果、埋葬されたとみられる大型犬の骨=写真、品川区立品川歴史館蔵=などが確認された。骨格の大きさなどからシェパードのようなやや大型のオスの犬だという。歯の状態から、柔らかいものを食べていたと見られる。3代藩主の伊達綱宗が、この屋敷に隠居していた時期の飼い犬と考えられている。
 文・長久保宏美/写真・戸田泰雅 長久保宏美
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