【独自】獄中でつづった純文学 元死刑囚・正田昭の未発表小説6編、本紙記者が発見

2021年10月24日 06時00分

正田昭が生前、友人らに送った自らの写真。裏に1967年12月3日撮影とあり、40才で刑死する2年前の姿と分かる

 「バー・メッカ殺人事件」の元死刑囚で、加賀乙彦さん(92)の小説「宣告」のモデルになった正田昭(1929~69年)が獄中で執筆した未発表の小説6編が見つかった。正田と文通していたカトリックのシスターから加賀さんに託された遺品の中にあった。正田は63年に「サハラの水」が「群像」新人文学賞の最終候補になるなど、作家としての才能の片鱗を見せていたが、死刑執行で筆を絶たれた。(加古陽治)

◆作家・加賀乙彦さんが保有していた遺品から

 69年12月、正田の刑が執行されてまもなく、文通相手のシスター(80)に段ボール2箱が届いた。正田が獄中で読んだ本や聖書、爪と髪などが収められていた。その中に「マーブル・アーチ」「二少年」「夜の音」「明日の虫」「明日の湖」「秋夜」の未発表の小説6編があった。11編の詩も新たに見つかった。
 シスターは自分では創作の文学的価値などを正しく評価できないと考え、面会や文通を通じて正田と親しく交流を続けていた加賀さんに原稿を届けた。
 加賀さんは遺稿を参照しながら代表作「宣告」を執筆。正田の手記などは「獄中日記・母への最後の手紙」「ある死刑囚との対話」「死の淵の愛と光」と相次いで出版された。小説は埋もれたままになっていたが、今年6~9月、加賀さんの許可を得て資料を調査した本紙記者が見つけた。

◆新人賞候補「サハラの水」の原型とみられる作品も

 加賀さんは正田の小説を評価し、手元に残した控えで「二少年」と「夜の音」に丸印を付けていたが、創作以上に手記や手紙の価値が高いと判断。それらの公表に尽力したという。

刑死後、半世紀余を経て見つかった正田昭の未発表の小説「二少年」など。作家・加賀乙彦さんが保管していた

 小説のうち「二少年」は原稿用紙の表紙に「63年秋」とあり「サハラの水」を執筆した後に書かれたとみられる。舞台は終戦直後の学校の剣道場。神聖な場を土足で踏みにじった先輩を打ちのめした少年が、主将に厳しく指導され、真剣での型稽古を求められる。寸止めでかわしていた少年だが、次第に陶酔して…という話。原稿用紙10枚の掌編だが、内容は濃い。
 「マーブル・アーチ」は61年の執筆とみられ、内容から「サハラの水」の原型とみられる。

◆公判中にカトリックの洗礼

 正田は、慶応大経済学部を出て証券会社に就職。素行の問題などで解雇されてまもない53年7月、東京・新橋駅前の「バー・メッカ」に知人の証券外務員の男性を呼び出し、従業員らと共謀して殺害。現金を奪って逃げたとして強盗殺人罪に問われ、63年に最高裁で死刑が確定した。事件は、アプレゲール(戦後派)の犯罪として新聞などで大きく報じられた。
 公判中にカトリックの洗礼を受け、模範囚として内省や読書の日々を送りながら執筆。「サハラの水」のほか、66~67年には聖パウロ女子修道会の「あけぼの」に8つの掌編小説を発表した。獄中手記が「黙想ノート」「夜の記録」として刊行されている。

◆技量卓越しているー文芸評論家・三輪太郎さんの話

 「二少年」の文章は端正で無駄なく、構成も釣り合いが取れていて揺るぎない。テーマは戦前・戦後の価値観の分断。これに武道と同性愛的要素が加わる。原稿用紙10枚に破綻なくこれだけのものを納めた技量は、卓越している。主人公の恭一も、彼が慕う主将も、同じ価値観を共有しているのに、敗戦による社会の変化が2人を対決へ追いこむ。ここに悲劇がある。もし、三島由紀夫がこれを読んだら、絶賛しただろう。「いくさがすめば、あとはどうでもいいと言うのか」という恭一の叫びは、今なお日本にとって片づかない宿題である。

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