<カジュアル美術館>前田館長と記念写真 塔本シスコ 世田谷美術館

2021年10月24日 07時10分

1995年 油彩・カンバス 130.5×162.0センチ

 塔本シスコ(一九一三〜二〇〇五年)の名前を知る人は、そう多くはないだろう。美術の教科書に載るような、または画壇で地位を占めるような画家ではなかった。絵を描くことが生業ではなかったので、画家と呼べるかも微妙だ。ただ、五十代半ばから九十一歳で亡くなるまで、日々暮らしながら絵筆を手放さなかった。「絵を描き続けたおばあちゃん」だった。
 シスコは大正二年に熊本県郡築村(現八代市)に生まれ、すぐに同県豊川村(現宇城市)の裕福な農家の養女になった。養父が米サンフランシスコ行きに憧れていたので「シスコ」と名付けられたという。快活で絵が大好きな少女に育ったが、家業が傾いたため小学校を四年で中退し、農業を手伝ったり奉公に出たりして働くことになった。公教育を受けたのはここまでだった。
 「前田館長と記念写真」にもシスコらしさがよく表れている。大きなカンバスを埋め尽くす、青と緑とピンクの極彩色。故郷熊本の阿蘇山と麓の花畑、記念撮影をしたり散策したりする人々が、背景、前景の区別なく見る側に迫ってくる。
 身近な人や動植物を、濃い色彩と単純なデザインで描く画風から、フランスの画家アンリ・ルソーらによる素朴派に近いと紹介されることもあるが、本人はルソーも素朴派も知らなかったらしい。美術教育も受けず誰にも師事せず、ほとんど我流でスタイルを確立した。

自宅にて 1994年(遺族提供)

 世田谷美術館は素朴派の作品の収集に力を入れており、その縁でシスコ作品も三作、所蔵する。橋本善八学芸部長は「人物の描き方に稚拙さはあっても、それが全体の魅力を損なわない。シスコの絵を分類しようとしても無理。『自由に表現していいんじゃない?』と語りかけてくるようだ」と話す。
 シスコの絵を理解する手掛かりの一つに故郷熊本の風物がある。人や動物や草花が、南国の強い太陽光を浴びてまぶしく輝くさまを、濁りのない鮮やかな色で再現している。生命力の波動でカンバスが満たされる。

「ネコ岳ミヤマキリシマ」1989年 油彩・段ボール 180.7×276.6センチ(個人蔵)

 実は「前田館長と−」は、別の作品「ネコ岳ミヤマキリシマ」をある展示会で披露した際に、同作の前で記念撮影した様子を描いている。つまり山や花畑は実際の景色ではなく、自作の描画だ。シスコの記憶は時空を超え、現在の風景とカンバスで共演する。型破りな表現にも、シスコは「私にはこがん見えるったい」と揺るぎがなかった。
 橋本部長は二〇一八年、遺族宅に保管されていた大量のシスコ作品を確認した。簡単な包装でくるまれて眠っていた。「すごいものを見た。ほっとけなくなった」と心を奪われた。約二百点の寄託を受け、同館で本格調査に乗り出した。“シスコ・ワールド”の探究はまだ始まったばかりだ。
◆みる 世田谷美術館(東京都世田谷区)は、東急田園都市線用賀駅から美術館行きバス「美術館」下車、徒歩3分。問い合わせは、ハローダイヤル=電050(5541)8600=へ。「前田館長と記念写真」は「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記」で展示中。11月7日まで。開館時間は午前10時〜午後6時(入場は5時半まで)。月曜休館。観覧料は一般1000円、65歳以上・大高生800円、中小生500円。
 文・栗原淳
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