モンゴルと板橋の25年 1996年10月交流協定締結 始まりはノート寄贈運動

2021年10月28日 07時08分

板橋区役所の窓口に仁王立ちするモンゴル相撲の衣装

 板橋区とモンゴルが文化・教育交流協定を締結してから、今月で25周年を迎えた。区では29日まで、さまざまな記念イベントが展開されている。それにしてもなぜモンゴル? 取材を進めると、区内に集積する印刷関連会社がカギを握っていた。東西冷戦の終結を背景に始まった交流の歴史をさあ、ひもとこう。

板橋区役所入り口に展示されているモンゴル遊牧民の移動式住居「ゲル」

 区役所の正面玄関を入ると、最初に目に飛び込んできたのは「ゲル」だ。高さ約2メートルの円柱形の移動式住居と区役所のミスマッチが面白い。
 モンゴル相撲の動画や衣装、伝統楽器「馬頭琴(ばとうきん)」の鑑賞コーナーも。手指消毒液のペダルを踏むと、「サインバイノー(モンゴル語で、こんにちは)」と音声が流れた。区文化・国際交流課の折原孝課長(45)は「モンゴルを身近に感じてもらい、多文化共生の推進につなげたい」と期待を寄せた。
 食堂ではモンゴル料理フェアも開催中。取材した日のメニューはモンゴル風焼きそば=写真。水野博之調理長(51)は「親しみやすいよう、モンゴル料理に使われる羊肉と日本の焼きそばを合わせました」とにこり。29日までモンゴル風ポトフや肉豆腐などが日替わりで楽しめる。

「馬頭琴」も展示

 交流のきっかけは、約30年前にさかのぼる。ソ連崩壊後の1992年、社会主義国だった「モンゴル人民共和国」は、民主国家の「モンゴル国」になった。旧ソ連からの経済支援と東欧圏からの輸入が途絶え、財政が急速に悪化。石油や機械部品のほか、紙など日用品までが不足した。
 このころ、国内有数の印刷会社の集積地・板橋区では、印刷業界が区と協力し、印刷や製本工程で生じる不要な紙のリサイクルに取り組んでいた。ノートを作って区内の保育所などで使ってもらおうと考えていたが、想定以上の量ができることが分かり、社会不安が広がるモンゴルの子どもたちに贈ることにした。

板橋区がモンゴルに贈ったノート=相田治昭さん提供

 すると「鉛筆も贈ろう」という声が区民に広がり、町会連合会や商店街連合会などが中心となって鉛筆29万本を収集。92年、ノート10万冊と鉛筆5万本を寄贈した。
 モンゴルでは伝統的なモンゴル文字を公用語として復活させることになっていたが、モンゴル文字の辞書が不足していた。そこで、区や印刷業界、町会連合会などが実行委員会を立ち上げ、93年に辞書3万冊を作って贈った。
 当時、モンゴル大使館とやりとりするなど奔走した元区職員の相田治昭さん(68)は「区民のバックアップにより運動が広がりました。モンゴルブームが起きていたことも背景にあったのかも」と振り返る。

モンゴルを訪問し、現地の子どもたちと交流した板橋区の若者たち=板橋区提供

 地場産業と区民が進めた交流の結果、96年10月19日、区はモンゴル文部省(現文化省・教育科学省)と文化・教育交流協定を締結。その後も関係を深めて今に至る。これが区役所にゲルが出現した理由だ。
 区印刷関連団体協議会の岩村貴成会長(48)は「印刷業界がきっかけとなり、交流が続いているのは光栄なこと。区とも連携しながら、今後もつながり続けられれば」と目を細めた。
 文・中村真暁/写真・内山田正夫
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