くらしのアナキズム 松村圭一郎著

2021年10月31日 07時00分

◆社会のスキマに共生の秩序
[評]平川克美(評論家)

 アナキズムという言葉には様々(さまざま)な顔がある。無政府主義という日本語訳には、暴力や無秩序のイメージがつきまとっている。アナキストといえば危険分子と思われる。
 それは違うのだと、人類学者である松村は言う。
 秩序を作るには二つの方法がある。一つは国家による強制であり、もう一つは国家なき自発的な同意である。
 戦争や大災害のもとでは、国家権力が及ばず、市場メカニズムの競争原理も働かないスキマができる。そこにこそ、人に優しいアナキズムが発動する。食物を分け合い、困っている隣人に声をかけ、無秩序の中に強制とは別の共生の秩序を作り出す。
 「ぼくらはつねに匿名のシステムに依存して生きている。そのシステムが壊れた時、たよりになるのは、それぞれがつながってきた顔のみえる社会関係だけだ」。それが「くらしのアナキズム」なのだと松村は主張する。
 古今東西の文献を渉猟して、見出(みいだ)された国家なきアナキズムは、勝者と敗者を分けず、希望と可能性に満ちたものであった。文献の中だけではない。松村がフィールドワークの中で体験したエチオピアの村での生活の現場や、故郷の熊本の震災地での経験の中にもアナキズムが息づいていた。
 本書は学者にありがちの無味乾燥の論文ではなく、松村本人の経験や思いが詰まった、血の通った報告書であり、実践の書でもある。
 現代アフリカを代表する人類学者フランシス・ニャムンジョは、不完全な存在どうしが交わり、相互に依存しあい、折衝・交渉することの裡(うち)にある論理が「コンヴィヴィアリティ(共生的実践)」だと言う。
 完全な人間を前提とし、情動と認識、主体と客体、生と死を分別してきた西欧合理主義はひとに二者択一を迫り、国家や制度のスキマに敗者を追い込む。国家や法のスキマに漏れ出した不完全な人間が生きのびるための血の通う経済とはいかなるものか。そのヒントとなるのが「所有するとは与えること」だと言うマリノフスキーの言葉だ。読者は松村に導かれて、この言葉の意味を知ることになるだろう。
(ミシマ社・1980円)
1975年生まれ。岡山大准教授、文化人類学者。著書『うしろめたさの人類学』など。

◆もう1冊

青木真兵、青木海青子著『山學ノオト』(エイチアンドエスカンパニー)。奈良県東吉野村に移住し、自宅に私設図書館を造った夫婦のアナーキーな生き方。

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