<ブルボン小林 月刊マンガホニャララ>(31)正しく漫画的な元気がある

2021年11月8日 06時58分
 昨年も当欄に書いたが、座間の殺人事件が忘れられない。
 十月三十日付の本紙での白石隆浩死刑囚の記事も読んだ。自分の悩みをどこかに相談したらよかったのでは、と聞かれた白石は「お金ないって? あー、思わなかったなあ」と明るく否定している。言ってる内容ではなく「あー」がすごい。なるほどねえ、という受け止めの、そのカジュアルさよ。事件当時、プロのニュースキャスターが原稿をとちって二度見した、それほどの戦慄(せんりつ)が、死刑囚自身には少しも生じていない。
 秋葉原で大勢を殺傷した男の、現行犯逮捕される寸前の写真がネットにあがっていたが、みると明らかに「放心」している。京都で放火したとされる男の逮捕後の姿も(火傷(やけど)してるから当然だが)困憊(こんぱい)してみえる。彼らのした(とされる)のは許されない行為で、同時に「疲弊」することのはず。だが白石死刑囚の言動には「疲れ」がない。そのことを僕は昨年、漫画との類似として当欄で語った。
 しかしその類似は「凶悪犯罪=漫画が原因」という短絡を意味するのではない。凄惨(せいさん)な事件に単独の犯人が浮上すると、そのたび漫画やアニメの(個人への)影響を探る声が今もあがるが、むしろ逆。ある個人(犯人)の感じとる社会全体が、漫画(特定の作品でなく、概念)のようなのではないか。ときに漫画のように安直に、ときに漫画のように命や、他人や自分の気持ちを軽く扱えると感受されている。そのように誰かに感受されうる社会なのだとしたら、犯罪者一人の趣味嗜好(しこう)から要因を探っても、無駄だ。
 個々の漫画作品は、ときに現実の社会よりも優秀だ(本来漫画とは「誇張」だから当然なのだが)。娯楽のために暴力や殺人を(疲れを隠蔽(いんぺい)して)描くが、人の心の疲れを気付かせてくれる、優れた装置にもなってくれる。

小林薫『葬儀屋事件簿』 *月刊『ミステリーブラン』(青泉社)で連載中。既刊3巻。

 最近では小林薫『葬儀屋事件簿』が素晴らしい。
 警視庁の元キャリア、寿(ことぶき)誠志郎は家業を継いで葬儀屋になった。その設定が(無茶苦茶(むちゃくちゃ)だが)うまい。次から次へといわくつきの変死体や、事情ありげな葬式依頼が舞い込んで飽きさせないし、警察に融通が利くから情報も早い。逮捕のための証拠も不要で、推理だけをずばっと示す。倫理や道徳も持ち出さず、自首さえ促さないのは実に新鮮な「名探偵」ぶりだ。
 特にコミックス二巻からがぜん面白くなった。知らない人の葬儀に紛れ込み、棺に花を入れ続ける謎の女。ネパール山中で五十年も腐乱しなかった死体の持ち帰りなど、練られた筋が連発される。
 圧死、轢死(れきし)、心中に土葬と、劇的なそれらの死すべてに「葬儀」が必要だった。従来のミステリーではおざなりに描かれる葬儀がきちんと描かれ、漫画内で粛々と「弔って」くれる(それで筋も膨らむ)し、犯人も読者もしみじみと慰撫(いぶ)される。
 寿の部下(友引が休日の女)田中よし子がいい(漫画主人公と思えない地味な名!)。しめやかな題材でもあるが、彼女の(往年の漫画の描線で)崩れる表情や、ホストクラブでたくましく歌う姿からは、正しく漫画的な元気を得られる。
 今風でない絵柄で、漫画通ほど軽んじそうな作なので、ここに特筆しておきたい。(ぶるぼん・こばやし=コラムニスト)

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